大航海時代に活躍した有名海賊とは?

 

大航海時代は、「大海賊時代」とも称されることがあります。これは、ヨーロッパ列強の海外進出に伴い、植民地や交易をめぐる熾烈な競争が繰り広げられ、ライバル国の貿易船から積み荷を強奪する「私掠船=雇われ海賊」が大活躍したためです。

 

ここでは、大航海時代に三大洋(大西洋・インド洋・太平洋)やカリブ海を舞台に活躍した有名海賊たちを紹介します。

 

 

大航海時代の海賊一覧

フランシス・ドレーク(1543年頃〜1596年)

イギリス女王・エリザベス1世(在位:1558年〜1603年)の支援のもと、スペイン船からの略奪を目的とした私掠船の船長として活躍した海賊です。ドレークはスペインの貿易船や植民地を襲撃し、莫大な富をイギリスにもたらしました。彼の成功により、イギリスは東インド会社を立ち上げ、ポルトガルやスペインが独占していた東アジア利権を獲得していくこととなります。ドレークはまた、世界一周を果たした航海者としても知られ、その冒険はヨーロッパの探検精神を刺激しました。

 

ヘンリー・モーガン(1635年頃〜1688年)

ウェールズ出身の私掠船船長であり、特にカリブ海で活動しました。スペイン船を襲撃して多くの富を奪い取る一方で、パナマ市を攻撃して占領したことでも有名です。モーガンはその成功から大いに名を上げ、最終的にはジャマイカ総督に任命され、海賊行為を取り締まる側に回るという異色の経歴を持っています。

 

ウィリアム・キッド(1645年〜1701年)

「キャプテン・キッド」として知られるこのスコットランド出身の海賊は、当初は私掠船として合法的に活動していましたが、次第に海賊行為に手を染めるようになります。彼の航海はインド洋や紅海など広範囲にわたり、多くの船を襲撃しました。しかし、最終的にはイギリス政府に捕まり、裁判の後に処刑されました。

 

バルバロッサ兄弟(15世紀末〜16世紀)

地中海で活動した有名な海賊兄弟であり、特にアフリカ北岸を拠点にしていました。兄オルッチと弟ハイレディンは、オスマン帝国の支援を受けてスペインやイタリアの船を襲撃し、オスマン帝国の海軍力を強化する役割を果たしました。ハイレディンはオスマン帝国の海軍提督となり、「バルバロッサ」という名前で恐れられました。

 

ジャン・バール(1650年〜1702年)

フランスの私掠船船長であり、特にスペイン継承戦争中に大西洋と北海で活躍しました。彼の大胆な襲撃と成功はフランスに大きな利益をもたらし、最終的にはフランス海軍の提督に任命されました。バールはその勇気と戦術の巧みさで知られ、フランスの海軍史に名を残しています。

 

私掠船と海賊の違い

私掠船は、国家の認可を受けて敵国の商船を襲撃する合法的な海賊です。彼らは「私掠免許状」を持っており、その活動は戦時中に限られていました。これに対して、一般的な海賊は国家の認可を受けずに略奪を行う違法な存在でした。大航海時代には、多くの海賊が私掠船として活動を開始し、その後独立して違法な海賊行為に転じることが多かったのです。

 

しかし、私掠船による襲撃が頻繁になると、敵対国との間で外交問題や報復措置が取られることが多くなりました。

 

英西戦争とフランシス・ドレーク

例えば、16世紀後半の英西戦争(1585-1604)では、イギリスの私掠船であるフランシス・ドレークがスペインの船舶や植民地を襲撃し、莫大な戦利品を得ました。これに対してスペインは激怒し、イギリスとの戦争を激化させました。このように、私掠船の活動はしばしば国際的な緊張を高める要因となりました。

 

国際法と私掠船の廃止

18世紀末から19世紀初頭にかけて、私掠船の利用は次第に廃止されていきました。これは、国際法が整備され、戦争におけるルールが厳格化されたためです。1856年のパリ宣言では、多くの主要国が私掠行為を禁止することに合意しました。これにより、私掠船の活動は国際法上違法となり、現代の海賊行為として取り締まられるようになりました。

 

大航海時代は、ヨーロッパの海洋進出とともに、多くの海賊が活躍した時代でもありました。彼らはしばしば国家の利益のために活動し、その富と名声で自国を繁栄させました。フランシス・ドレークやヘンリー・モーガンのような有名な海賊たちの冒険は、現在も多くの人々に語り継がれ、彼らの名声は時を超えて輝き続けています。