ガレノスの基本情報
ラテン名:クラウディウス・ガレヌス
誕生:129年頃
死没:200年頃
主著:『身体諸部分の用途について』
功績:古代医学の集大成を確立、イスラム世界への医学に影響
ガレノス(129年頃 - 200年頃)は帝政ローマ時代におけるギリシャの医者です。ヒポクラテスの「体液病理説」を支持し、臨床経験に加え、生理学上の実験や解剖によって、体系的な医学を確立した人物として知られます。
小アジアペルガモンに生まれ、17歳から医学の勉に励み、30代にはローマの名医として名をはせるようになりました。そして古代医学の集大成といえる医学書の数々(『身体諸部分の用途について』が有名)は、ヨーロッパ医学の基礎として絶対的な権威を持つようになり、ルネサンス時代にいたるまで読まれ続けたのです。
彼の学説は中世ヨーロッパのみならず、東ローマ帝国を通してイスラム世界へも伝わり、医学思想の方向性を決定づけたことも重要です。
17歳の頃から医学の勉強を始め、ギリシアや小アジア各地を遊学して医学に関する見聞を深めていきました。その後剣闘士道場の外科医を経て、162年からはローマに拠点を移転。名医として評判が広まると、皇帝マルクス・アウレリウスの侍医として大出世しました。
動物解剖により人体の働きや構造について研究を行い、解剖学の進展に大きく寄与したこと。ヒポクラテスの体液病理説を基礎とし、解剖により体系的な医学を確立。古代における医学の集大成を成した功績が認められています。
彼によりヨーロッパにおける科学的医術の基礎が形成され、その学説はルネサンスまで1500年以上ヨーロッパ医学およびイスラム医学において権威を持ち続けたのです。
|
|
|
|