古代ローマにも学校はあった?

 

古代ローマにも「学校」に相当する場所は存在しましたが、現代日本やヨーロッパ諸国のように、公共の学校というものはありませんでした。教育は社会が行うものではなく、家庭学習が一般的で、国家は干渉しないものだったのです。帝政期には私塾が出来始め、教育の場は家庭から教育へシフトしていきますが、教育は親が子に与えるものという状況が変わったわけでもありませんでした。

 

教育科目

教育は物心がつく6~7歳頃から始まり、青年期にかけてラテン語の読み書きや歴史、算術、法律、政治、共用語であるギリシャ語などを教わっていくことになります。

 

教師

教師役は基本的に父親ですが、裕福な家庭は家庭教師に任せていました。家庭教師はもともとはギリシャ人奴隷が務めることが多かったのですが、カエサルが教師になる者には出自問わず市民権を与えたため、教師の社会的地位向上とともに各地から優秀な人材が集まるようになり、ローマの教育レベルが著しく上昇しました。

 

79年ヴェスヴィオ山の噴火に飲み込まれた都市ポンペイの遺跡からは、庶民による落書きが大量に見つかっていることから、識字率はそれなりに高かったものと思われます。