ラツィオ州

ラツィオ州の分離集落チヴィタ・ディ・バニョレージョ

 

ラツィオ州(伊:Lazio)は、イタリア中部・ティレニア海沿岸に広がる州で、ロンバルディア州カンパニア州に次ぐ国内屈指の経済圏です。州都は現イタリア共和国の首都、かつヨーロッパ文明の揺籃・古代ローマ帝国の首都でもあった“永遠の都”ローマ。古代ローマおよび中世来の建造物が多く保全され、“カトリック総本山のお膝元”であることから、イタリアでもとりわけ大勢の観光客が訪れる地方になっています。

 

ラツィオ州の成り立ち

古代においてラツィオは、州名の語源でもある「ラティウム」の名で呼ばれ、ラテン人の居住地になっていました。前7世紀頃にはローマの支配下に入り、前1世紀以降、同国が地中海世界全域に覇を唱える大帝国に成長すると、この地方も帝国の中心地として繁栄を享受するようになるのです。西ローマ帝国の崩壊後は、しばらく政治的混乱が続いたのち、ローマ教皇の所領(教皇領)として定着。

 

イタリア統一後

1870年、教皇領がイタリア王国(1861年成立)に併合された後、首都がトスカーナのフィレンツェからラツィオのローマに移されたことで、この地方は“イタリアの心臓部”として、政治的・経済的にいっそう重要な位置を占めるようになるのです。