フランスが産業革命に遅れた理由

フランスは欧州屈指の農業大国でありますが、農作物は単価が安いので、輸出金額に占める割合は意外に低いです。フランスにおいて輸出金額大半を占めるのは工業製品であり、国内では製材・製紙、自動車製造、航空宇宙産業、原子力産業など各種工業がさかんに行なわれています。

 

 

フランスにおける産業革命の開始

フランスの産業革命は、1830年に復古王政が倒された後、自由主義者のルイ・フィリップ(在位1830年〜1848年)のもと始められました。

 

その後、ナポレオン3世(在位:1852年〜1870年)の治世になり、保護貿易から自由貿易主義への転換で、イギリスとの競争を促進し、鉄道、通信網の整備など、産業革命が急速に進んでいきました。

 

ナポレオンは自身の推進した産業革命の成果をアピールするため1855年、1867年に万国博覧会を開催しています。

 

フランス革命に遅れた3つの要因

とはいえイギリスでは1760年代という、フランスよりはるか前に産業革命が始まっています。同時期のフランスは、イギリスと同規模の労働力や資本、社会・経済環境をもっていたにも関わらず、なぜ産業革命を起こせなかったのでしょうか。

 

経済要因

19世紀のフランス経済の中心はまだまだ農業。とくに小規模な自作農(プチ・ブルジョワ)が多く、地主に縛られた農奴のような存在はすでに少なかったため、イギリスのような「農村から都市への労働者移動」が起きにくかったんです。

 

人口増加が穏やかだった

フランスは19世紀を通じて人口の伸びが非常にゆるやかでした。結果として労働力不足に陥りやすく、大規模な工場制手工業を支える人手がなかなか確保できなかったわけです。

 

植民地規模の差

またイギリスと比べた場合「植民地規模の違い」も見逃せません。英産業革命の前に、フレンチ・インディアン戦争(七年戦争のうち北アメリカを舞台に行われた戦い)という英仏の植民地争奪戦争が勃発しており、フランスはこれに敗れ、海外植民地の多くを失ったうえ、莫大な負債を抱えてしまいました。革命を起こすキャパも財政的余裕もなかったわけです。

 

逆に戦勝国のイギリスは、広大化した植民地から大量の資源を安価に輸入し、労働力も確保できるようになりました。海外市場を独占できるようになったことが、イギリス産業革命最大の後押しとなったのです。

 

シグナルヒルの戦い
フレンチ・インディアン戦争(1754年 - 1763年)における最後の戦い。
フランスはこの戦いでイギリスに敗北し、北米植民地を喪失した。

 

英仏通商条約

ライバルに遅れを取ったもう一つの原因として、1786年に結ばれた英仏通商条約があります。この条約でイギリスから安価な工業製品が輸入できるようになったため、工業化をする必要性が低かったという背景があるのです。

 

社会要因

フランスには古くから職人文化が根強く残っていました。伝統的な手作業やギルド的な産業構造が強く、大規模な工場制への移行に消極的だったんです。また、農家が農業と並行して行う家内工業も盛んで、わざわざ工場で働かなくても生活できる環境が整っていました。

 

革新よりも安定を重視

フランスの中産階級は、イギリスのように投資や起業に走るよりも、土地や安定した職業に価値を置く傾向が強かったんです。そのためリスクを取って技術革新に挑む企業家が育ちにくいという事情もありました。

 

政治要因

1789年のフランス革命以降、フランスでは政体がコロコロ変わります。第一共和政→ナポレオンの第一帝政→王政復古→七月王政→第二共和政→ナポレオン3世の第二帝政…。こうした政情不安の中では、長期的な設備投資や労働環境の整備は難しかったんですね。

 

保護主義的政策の影響

フランス政府は当初、外国製品との競争を避けるために保護主義的な関税政策を取っていました。これにより国内産業は守られましたが、技術革新へのインセンティブが乏しく、イギリスに比べて近代化のスピードが鈍ってしまったのです。

 

フランスが産業革命に遅れたのは、「能力がなかったから」じゃなくて、「社会全体が急激な変化を望んでいなかったから」とも言えるんですね。伝統、安定、職人精神──それらが豊かな文化を育てた一方で、工業化の波にはちょっと慎重すぎたのかもしれません。