フランスは欧州屈指の農業大国でありますが、農作物は単価が安いので、輸出金額に占める割合は意外に低いです。フランスにおいて輸出金額大半を占めるのは工業製品であり、国内では製材・製紙、自動車製造、航空宇宙産業、原子力産業など各種工業がさかんに行なわれています。
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フランスの工業化はイギリスに比べたら、少し遅い時期に始まりました。ライバルに遅れを取った原因の一つとして、1786年に結ばれた英仏通商条約があります。この条約でイギリスから安価な工業製品が輸入できるようになったため、工業化をする必要性が低かったという背景があるのです。
フランスの産業革命は、1830年に復古王政が倒された後、自由主義者のルイ・フィリップ(在位1830年〜1848年)のもと始められました。
その後、ナポレオン3世(在位:1852年〜1870年)の治世になり、保護貿易から自由貿易主義への転換で、イギリスとの競争を促進し、鉄道、通信網の整備など、産業革命が急速に進んでいったのです。
ナポレオンは自身の推進した産業革命の成果をアピールするため1855年、1867年に万国博覧会を開催しています。
イギリスでは1760年代という、フランスよりはるか前に産業革命が始まっています。同時期のフランスは、イギリスと同規模の労働力や資本、社会・経済環境をもっていたにも関わらず、なぜ産業革命を起こせなかったのでしょうか。
答えはずばり「植民地規模の違い」にあります。英産業革命の前に、フレンチ・インディアン戦争(七年戦争のうち北アメリカを舞台に行われた戦い)という英仏の植民地争奪戦争が勃発しており、フランスはこれに敗れ、海外植民地の多くを失ったうえ、莫大な負債を抱えてしまいました。革命を起こすキャパも財政的余裕もなかったわけです。
フレンチ・インディアン戦争(1754年 - 1763年)における最後の戦いとなったシグナルヒルの戦い。フランスはこの戦いでイギリスに敗北し、北米植民地を喪失した。
逆に戦勝国のイギリスは、広大化した植民地から大量の資源を安価に輸入し、労働力も確保できるようになりました。海外市場を独占できるようになったことが、イギリス産業革命最大の後押しとなったのです。
1786年に英仏通商条約が結ばれ、両国の貿易が自由化されたことも大きいでしょう。この条約でイギリスの工業製品の輸入が認められたので、そもそも産業革命を急ぐ必要がなかったのです。さらにこの自由化により、フランス工業が打撃を受けたことで、フランス革命も勃発したので、社会的混乱でますます産業革命どころではなくなりました。
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