第一次世界大戦

第一次世界大戦

大戦がもたらした最大の結果の一つはヨーロッパの衰退である。ヨーロッパは何世紀にもわたって世界の中心となり、諸国家の基礎のうえに成立してきた。大戦は真っ向から国家的観念と対立した。ヨーロッパ諸国は国家の名において死闘を繰り返し、終わってみれば道徳的にも物質的にも弱体化していた。以後、ヨーロッパが世界を支配するとはいえなくなった。

 

ジャン=ジャック・ベッケール著『第一次世界大戦』p155より引用

 

第一次世界大戦は、1914〜18年にかけヨーロッパを主戦場として行われた世界規模の戦争です。当初の想定を超えた戦争の長期化や、第二次産業革命で進化を遂げた近代兵器(航空機、戦車、潜水艦、毒ガスなど)の大量投入・それにともなう殺傷率上昇が重なり、史上最も多くの犠牲を生んだ戦争となりました。

 

 

 

第一次世界大戦の開始

20世紀初頭のヨーロッパ。三国同盟(ドイツオーストリアイタリア)vs三国協商(イギリスフランスロシアという構図で、バルカン半島やアフリカを舞台に覇権争いが繰り広げられており、国際的な緊張が高まっていました。

 

とりわけオーストリア支配下のバルカン半島は、民族間抗争や民族独立運動の高まりで、「ヨーロッパの火薬庫」と称されるほど一触即発の状態にあったのです。

 

サラエボ事件の発生

そんな中、ボスニア=ヘルツェゴビナの首都サラエボにて、オーストリア皇太子夫妻が殺害されるサラエボ事件(1914年)が発生。これで張りつめていた緊張の糸が切れてしまいました。オーストリアの対セルビア宣戦に端を発し、各国同盟関係を背景に参戦国はみるみる拡大、世界規模の戦争に発展してしまったのです。

 

1914年7月12日のイタリアの新聞に掲載されたサラエボ事件の挿絵

 

日本の参戦

最終的に参戦国は30か国余りに及びました。遠いアジアの日本日英同盟を大義名分として参戦し、中国や大西洋のドイツ利権を攻撃。機に乗じる様に勢力を拡大していきました。

 

第一次世界大戦の終結

大戦の火ぶたが切られると、ヨーロッパを主戦場に、協商国(イギリスフランスセルビアロシアなど)vs中央同盟国(ドイツ、オーストリア、ハンガリーなど)という構図で激戦が繰り広げられ、当初の想定を超え戦いは長期化しました。

 

ところが大戦末期、ドイツが「無制限潜水艦作戦」を開始したため、それまで中立を保っていたアメリカが「世界の平和、人権、民主主義を守る」と宣言し参戦。これで大勢が決した上、ドイツ革命(1918年11月)による帝政ドイツ崩壊、それにともなう中央同盟国の解散で、4年半にわたる世界戦争に終止符が打たれたのです。

 

 

 

第一次世界大戦の影響

国際連盟の創設

第一次世界大戦の死者は、最終的に1000万人を超え、ヨーロッパは史上類のない規模の人的・物的損害を被りました。この未曾有の悲劇を二度と起こさないために、戦後は国際連盟というアメリカのウィルソンにより創設された「平和維持機関」のもと、国際協調の道が模索されることになります。

 

帝国主義の終焉

戦争の長期化による、犠牲者の増大・不況・飢饉の深刻化は参戦各国の内政に深刻なダメージを与えました。戦争終結前後にドイツ帝国、ロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国というヨーロッパで覇を争った四大帝国が崩壊の憂き目にあっています。第一次世界大戦は帝国主義に終止符を打った戦争でもあったのです。

 

ソ連の台頭

ロシア革命(1917年)により帝政ロシアが崩壊。新たに樹立されたソビエト政権は、ロシア内戦(1917年〜1922年)を終息させたのち、「平等」を掲げる世界初の社会主義国家ソビエト連邦(ソ連)を成立させています。ソ連は戦後の世界恐慌でヨーロッパ諸国が不況に喘ぐ中、計画経済のもと唯一経済成長を遂げていくなど、その新しい国家スタイルが注目されるようになります。

 

ファシズムの台頭

戦後開催されたパリ講和会議(1919年)では、ドイツに対する苛烈な制裁が決定され、戦勝国イタリアにとっても不満の多い内容でした。両国民の戦後秩序(ヴェルサイユ体制)に対する強い不満は、ナチス、ファシスト党といったファシズム勢力台頭の温床となり、これは30年代に世界恐慌でいっそう勢力を伸ばしていきます。そしてこれらファシズム国が増長の末、ついに対外侵略を始めたことで、ヨーロッパは再び狂気の世界大戦へと身を投じていくことになるのです。

 

戦後の国際秩序が決定されたパリ講和会議

 

ファシズムの台頭は防げなかった?

 

ヨーロッパにおけるファシズムの台頭は、西側諸国がソ連(共産勢力)の勢力拡大を恐れたがために、「封じ込め」の一環としてヒトラームッソリーニなどの右翼政権に対して譲歩や歩みよりを積極的に行うようになったという背景もあります。