バルトロメウ・ディアスとは何をした人?~喜望峰を発見~

バルトロメウ・ディアスとは

バルトロメウ・ディアスは15世紀のポルトガル人航海者であり探検家であった。アフリカ南端の喜望峰に到達しインド航路開拓の道を開いたことで知られる。本ページでは、このあたりのバックグラウンドと後世への影響について詳しく掘り下げていく。

バルトロメウ・ディアスとは何をした人?~喜望峰を発見~


バルトロメウ・ディアスの基本情報

 

英名:バーソロミュー・ディアズ
誕生: 1450年頃ポルトガル
死没:1500年太平洋・海難事故にて
後援:ジョアン2世
功績:喜望峰を発見


バルトロメウ・ディアス(1450年頃 – 1500年)はポルトガルの航海者で、ヨーロッパ人として初めて、アフリカ大陸南端の喜望峰を発見した人物として知られます。1487年ジョアン2世の命でアフリカ西岸の探検に繰り出し、嵐にあって流された末、1488年アフリカ南端に到達。


ディアスはその過程からそこを「暴風岬」と名づけましたが、のちにジョアン2世により「喜望峰」と改名されました。彼による暴風岬改め、喜望峰の発見は、のちのバスコ・ダ・ガマによるインド航路発見の足掛かりとなり、また大航海時代の開幕を告げる出来事にもなったのです。



バルトロメウ・ディアスの生涯

1450年頃 誕生

同じく航海探検者のディニス・ディアスの息子として、ポルトガルに生まれる。父、祖父ともにエンリケ航海王子に仕えていた。


1481年 黄金海岸遠征

探検家ディオゴ・デ・アザンブージャの黄金海外遠征に同行する。


1487年 リスボンを出航

ポルトガル王ジョアン2世の命を受け、西回りのアジア航路開拓のためリスボンを出航する。


1488年 喜望峰の発見

現南アフリカ近海で嵐にあい、13日間漂流の末、ようやくたどり着いた陸地がアフリカ大陸南端、すなわち喜望峰であった。しかしこのままアジアへ進む余裕はなかったため、引き返すこととし、同年末にリスボンに帰還した。


1497年 ヴァスコ・ダ・ガマに同行

インド航路開拓のため航海に出たバスコ・ダ・ガマの艦隊に、水先案内人として同行する。


1500年 死去

カブラルのブラジル遠征に同行し、ブラジル「発見」の瞬間に立ち会うも、南太平洋で嵐に合い海難死する。