ヨーロッパの貴族

ヨーロッパの貴族

貴族(noblesse)の名に値するには、二つの条件を兼ね備えなければならない。 まず第一 に、貴族 が主張 してい るところの優越性を確認 し、具象化する固有の法的身分をもつこと、第二にこの法的身分 が血統 を通じて伝えられること。

 

仏歴史学者マルク ・ブロック著『封建社会』より

 

貴族(英:Noble)とは、生まれながらに様々な社会的特権、盤石な経済基盤を持ち、生きていくためのあらゆる義務や労働から解放されている特権階級のことです。戦争の功績や商業により、ある人間が築いた資産が、その子や孫に代々受け継がれていくことで生まれる「家系」ともいえます。その家系にある種の政治的特権を与える「貴族制」は古くから存在し、古来より貴族というのはヨーロッパの国際政治に絶大な影響力を持つ存在だったのです。古代ギリシアでは王政から民主制への移行期に貴族制(アリストクラティア)が成立していますし、近世ヨーロッパのポーランド・リトアニア王国は、議会を牛耳る貴族が王権を厳しく制限する貴族共和制が敷かれていました。

 

 

古代の貴族

古代ローマ時代、パトリキ(貴族)に対するプレブス(平民)の身分闘争の発端となった聖山事件を描いた絵

 

ヨーロッパにおいて、「貴族」と呼ばれる存在は、古代ギリシア古代ローマの民主制成立以前の時代から存在し、ギリシアの貴族はエウパトリダイ、ローマの貴族はパトリキと呼ばれていました。ヨーロッパの重要な価値の1つである民主制の成立は、古代社会の中における貴族と平民の身分闘争抜きには語れません。ローマでは共和政移行後も貴族は絶大な権力を握っていましたが、ローマ帝政期に入ると皇帝権力に組み込まれていきました。

 

中世の貴族

フランス国王ジャン2世(国王)から称号を受ける貴族(封建領主)

 

ローマ時代に財を築いた貴族は、中世封建社会における封建領主となり、国王より公爵、伯爵などの称号を与えられ地方の統治を任されていました。この称号はもともと一代限りのものでしたが、やがて子や孫に世襲されるようになり、称号を持つ家系に特権を与える貴族制というものが定着していきました。

 

近世以降の貴族

フランス革命中の1792年、ブルボン王宮テュイルリー宮殿が襲撃された「8月10日事件」を描いた絵。貴族制、および王政の没落を象徴する事件の一つといえる。

 

封建制が崩壊し絶対王政が成立すると、貴族はしだいに官僚化、いわゆる宮廷貴族となりました。さらに15世紀末以降、商工業が発達すると商業資本家階層の社会に対する影響力が、貴族のそれを上回るようになり、貴族制は徐々に衰退していきました。

 

貴族制の廃止

19世紀に入ると、貴族制および王政の打倒を掲げる市民革命が勃発するようになり、第二次産業革命の頃には貴族の称号はもはや肩書的なものでしかなくなりました。今日でもイギリスなど世襲貴族を認めている一部の国が貴族制を残していますが、どれも大幅に弱体化しているか、名誉職的なものとして形骸化しています。