ジェームズ1世
ジェームズ1世の基本情報
二つ名:「平和王」
誕生:1566年スコットランド王国
死没:1625年イングランド王国
在位:1603年 - 1625年
王朝:スチュアート朝
政策:スチュアート朝を創始/平和外交
ジェームズ1世(1566年 - 1625年)はスチュアート朝の初代イングランド王で、スコットランド王も兼任していた人物です。スコットランド王としては、1567年スコットランド女王の母メアリー・スチュアートの退位にともない即位。当時まだ生後1年だったため1583年から新政を開始しました。そして1603年エリザベス1世の死去にともない、その血筋からイングランド王位の継承権も得て即位、スチュアート朝を創始したのです。
その治世では、諸外国との協調路線により「平和王」と称される一方で、王権神授説の信望者で絶対王政を展開したため、内政的には議会との衝突を繰り返していました。また宗教政策では旧教徒・清教徒双方から反発を買い、旧教徒による火薬陰謀事件に発展しています。
ジェームズ1世はスチュアート朝初代国王で、チャールズ1世はジェームズ1世の次男です。ジェームズ1世もチャールズ1世も王権神授説に基づく専制政治を行い、議会と対立したこと、ピューリタンを弾圧したことなどで共通しています。
これはジェームズ1世の方針を息子チャールズが受け継いだに過ぎないのですが、違いといえば、まだジェームズ1世のほうが議会を尊重していました。ジェームズ1世は王権神授説を信じていたとはいえ、王を補佐する存在としては議会制度を重視していたため、22年の在位で8会期(36か月)の議会を開催しているのです。(エリザベス1世に比べれば大分多いほうでした)
それに対してチャールズ1世は議会から権利の請願を求められたことに怒って議会を解散してしまい、以来11年にわたって無議会の専制政治を行っていたのです(ジェームズ1世が無議会政治を行ったのは最高でも6年)。この行き過ぎた議会軽視が王党派と議会派の対立を深刻なほどに過熱させ、ピューリタン革命に繋がってしまったといえますね。
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