エカチェリーナ2世とは何をした人?〜啓蒙専制君主の典型〜

エカチェリーナ二世
ランピ画

 

エカチェリーナ2世の基本情報

 

本名:ソフィア・アウグスタ
別名:エカチェリーナ大帝
誕生:1729年 神聖ローマ帝国・プロイセン
死没:1796年 ロシア帝国・サンクト・ペテルブルグ
政策:啓蒙専制政治/農奴制強化/ポーランド分割/武装中立同盟

 

エカチェリーナ2世(1729年 - 1796年)はロシア・ロマノフ朝の女帝で、啓蒙専制君主としてロシアの強大化を推し進めた人物として知られます。前名はソフィア・アウグスタで、称号をとってエカチェリーナ大帝とも。1762年クーデターにより即位後は、西欧諸国に追いつくべく、万人の平等を説き、啓蒙主義に立脚した近代化改革を推し進めるも、プガチョフの農民反乱をきっかけに反動化。農奴制の強化、フランス革命への干渉、ポーランド共和国憲法の抹殺など、旧体制の維持に傾倒していきました。またアメリカ独立戦争では武装中立同盟を結成し、事実上アメリカの独立勢力を支援。対日関係においては、通商のために使節ラクスマンを派遣しています。

 

 

エカチェリーナ2世の偉業・功績

領土拡大

エカチェリーナ2世はピョートル大帝の南下政策を継承し、1768年露土戦争を開始。その結果クリム=ハン国を併合することで、黒海支配の要衝であるクリミア半島を自国領に組み込むことに成功しました。さらに1772年にはポーランド分割も行っているので、彼女の治世でロシア帝国の領土は大幅に拡大しているのです。

 

露土戦争の勝利でオスマン帝国内の正教徒保護を認めさせ、内政干渉の口実も手にしています。

 

武装中立同盟

エカチェリーナ2世の治世では、アメリカ独立戦争が勃発しています。エカチェリーナ2世は表向きは中立を表明していたものの、ヨーロッパ諸国と武装中立同盟を結ぶことで、イギリスを牽制し、事実上アメリカの独立を支援しました。

 

エカチェリーナ2世の逸話

努力しすぎで体を壊す

エカチェリーナはドイツ出身。ロシア王家に嫁ぐものとして、寝る間も惜しんでロシア語の勉強に取り組んだ結果、ある日体を壊してしまったそうです。しかし、そのひたむきさにロシア国民は心動かされ、彼女を支持するようになったとか。

 

彼女はそこまで容姿に恵まれていたわけではありませんでしたが、大変な努力家で、知性や教養を磨くことで、貴族の名に恥じない美しい女性になろうと努めていました。ロシアに渡ってもそれは変わらなかったということですね。

 

クーデターを自ら指揮

プロイセン贔屓の夫ピョートル3世に対するクーデターが敢行された際、クーデターを支持していたエカチェリーナは、ロシア軍の軍服の男装をして、自ら馬上から指揮をとったといわれています。