アテナイとスパルタの違いとは?

アテナイとスパルタの違いを教えてください。

アテナイとスパルタの違いは様々ですが、主なところだと以下の点が挙げられます。

 

 

民族構成

アテナイもスパルタもギリシア人ですが、アテナイはイオニア人が主体だったのに対し、スパルタはドーリア人が主体でした。当時のギリシアというのはこの二大民族の勢力に分かれており、アテナイがイオニア人の盟主、スパルタがドーリア人の盟主だったのです。

 

住民構成

アテナイは市民が過半を占め、残り4割程度が奴隷だったのに対し、スパルタは7割もを奴隷(通称ヘイロータイ)が占めており、支配者である市民(通称スパルティアタイ)は少数派でした。スパルタが軍国主義に傾倒していたのも、大多数の奴隷が反乱を起こした時に、少数でも武力で抑え込めるようにするためです。

 

政治体制

アテナイは成立時は王政でしたが、前8世紀頃貴族政に、前5世紀に民主政に移行しています。それに対しスパルタは成立時から首尾一貫して、徹底した身分制度を採用した王政のままでした。

 

経済体制

アテナイの経済基盤は対外貿易を軸にした商業でしたが、スパルタは農業による自給自足を基盤にしており、対外貿易などは最低限にとどめていました。

 

軍の主体

アテナイは海軍が主体だったのに対し、スパルタは陸軍が主体でした。ペロポネソス戦争スパルタは海戦においてはアテナイに後塵を拝していましたが、陸戦においては連戦連勝の負けなしでした。

 

城壁の有無

アテナイは外敵の侵入に備え、市街が城壁に囲まれていましたが、スパルタは「城壁は人なり」という信念から城壁を設けていませんでした。しかしそれでもスパルタ陸軍のケタ外れの強さは、当時のギリシア世界において知らぬ者はいなかったので、あえてスパルタに攻めていくなどという自殺行為をする国は、末期まで現れなかったのです。

 

アテナイのアリストテレス(前384年 - 前322年)とスパルタレオニダス王(前540年 - 前480年)の銅像。鎖国政策をとり、他国との文化交流を拒否していたスパルタでは、アリストテレスのような哲学者は育たなかった。