ロシアは、長い歴史と豊かな文化を持つ国です。その政治の歴史は、専制君主制から共産主義、そして現在の連邦制へと大きく変遷してきました。それぞれの時代がロシアの政治をどのように形成してきたのか、その概要を追っていきましょう。
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10世紀から12世紀にかけてのロシアの地は、封建制度に基づいた公国の集合体で、キエフ・ルーシ(キエフ公国)と呼ばれています。この時代は、キエフ公による強力な中央集権が確立され、その下でロシアは文化的な発展を遂げていきました。
13世紀から15世紀までのロシアは、モンゴル帝国による支配時代(通称:タタールのくびき)を経験します。しかし、モンゴルに支配される中でも、現モスクワを中心としたモスクワ大公国が着実に力をつけていき、1480年にモンゴル支配からの脱却に成功しました。
モンゴルの支配から解放されたモスクワ大公国は領土の拡大を続け、1547年にはイヴァン4世(雷帝)の下、ツァーリ(皇帝)を戴くロシア・ツァーリ国へと生まれ変わりました。この帝政時代は絶対君主制の時代であり、特にピョートル大帝(在位:1682年〜1725年)とエカチェリーナ大帝(在位:1762年〜1796年)の時代には、その絶対権力のもと、西欧にならった近代化が上から進められました。
1721年にピョートル大帝が、西欧にならった呼称である「皇帝(インペラトル)」を名乗るようになってからは、「ロシア・ツァーリ国」ではなく「ロシア帝国」の国号が使われる場合が多いです。
1917年のロシア革命により、帝政は打倒され、ソビエト連邦が誕生します。ソ連支配下のロシア(ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国)は、共産主義に基づく政治が展開され、一党独裁制の下で、急速な工業化や集団農業が進められました。
ソビエト連邦の崩壊後のロシアは、連邦制を採用し、市場経済へと移行しました。しかし現実は、中央集権化の傾向が強く、完全に民主化しているとは言い難い状況が続いています。
ロシアの政治の歴史は、国家の形態、経済体制、政治制度が大きく変動する中で、中央集権と独裁的な体制を維持してきました。現代でも、これらの歴史的な要素がロシア政治の形成に影響を与えていると言えます。これらを理解することは、ロシアの政治や国際関係を理解する上で不可欠です。
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