ローゼンベルク
ローゼンベルクの基本情報
氏名:アルフレート・エルンスト・ローゼンベルク
誕生:1893年ロシア帝国,レヴァル(現エストニア,タリン)
死没:1946年バイエルン州,ニュルンベルク
判決:死刑
官職:ナチス中央機関紙編集長、対外政策全国指導者、東部占領地域大臣
ローゼンベルク(1893年 - 1946年)はドイツの政治家で、ナチス政権の対外政策全国指導者および東部占領地域大臣として侵略戦争・ユダヤ人迫害を主導した人物の1人です。ロシア領時代のエストニア出身。モスクワの大学在学中ロシア革命を目の当たりにし、反共産・反ユダヤに傾倒し、1919年、自身の思想と親和性の高いナチスに入党。21年からはナチスの中央機関紙『フェルキッシャー・ベオバハター』の編集長を務め、第二次世界大戦中は東部占領地域におけるユダヤ人迫害を推進しました。戦後のニュルンベルク裁判では「侵略戦争の共同謀議」「侵略戦争の実行」「人道に対する罪」「戦争犯罪」の4つの罪で訴追された結果、46年死刑宣告を受け、同年中に処刑されました。
ロシア帝国領エストニアのレヴァル(現タリン)に、バルト・ドイツ人の子として生まれる。
同年末にミュンヘンにてヒトラーと出会い、後のナチスとなるドイツ労働者党に入党する。
ナチス党の機関紙『フェルキッシャー・ベオバハター』の主筆となり、党の活動において主導的な役割を果たすようになる。ヒトラーは同紙におけるローゼンベルクの外交に対する視野を高く評価していた。
ヒトラーによる反政府反乱ミュンヘン一揆に参加する。失敗後は逮捕を逃れ、ミュンヘン各地で逃亡生活を送った。
30年に国会議員に当選した後、33年党外交部長に任命された。しかしその後は軽視され、ナチスへの目立つ貢献はみられない。
1945年5月にイギリス軍に逮捕され、戦後のニュルンベルク裁判で「侵略戦争の共同謀議」「侵略戦争の実行」「人道に対する罪」「戦争犯罪」の4つの罪で訴追。死刑判決を言い渡された。翌年10月に刑が執行された。
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