プッリャ州アルベロベッロの街並み
プッリャ州(伊:Puglia)は、イタリア南部、アドリア海に面する州です。イタリア半島をブーツに見立てた場合の“かかと”にあたり、本島南部では最も広い州になります。州都は東地中海貿易の一大拠点バーリ。地中海性気候を活かしたオリーブ栽培および、オリーブ油の生産がさかんな他、とんがり屋根の石の家「トゥルッリ」で知られるアルベロベッロ、崖沿いの建物とエメラルド色の海の対比が美しいポリニャーノ・ア・マーレ、その歴史的経緯から古代ギリシア様式・ビザンツ様式・ノルマン様式・ピサ様式など多様な様式の建築物が見られることもあり、観光業も発達しています。
前8世紀頃、この地方に古代ギリシア人の植民都市が建設され、前5世紀から前4世紀にかけ、現在のターラントを中心とする地域は、ギリシア陶器の一大生産地として栄えるようになりました。ローマに征服された前3世紀以降は、同国の貿易拠点として引き続き繁栄しました。
古代においてこの地方の北部は、古代ギリシア語で「アプーリア」、ラテン語で「アプリア」と呼ばれ、今の地名の語源にもなっています。
ローマ帝国崩壊後は、東ゴート王国、ランゴバルド王国、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の支配を経て、11世紀、シチリア王国の支配下に。そして13世紀末、同国の内乱・分裂の結果、プッリャは大陸側に成立したナポリ王国の一部となりました。
15世紀になるとプッリャ含むナポリ王国領がスペインの支配下に。その後はナポレオン戦争における中断を経て、スペインの主導で成立した両シチリア王国(1816年のナポリ王国とシチリア王国の統合により)の一部となりました。
19世紀後半、両シチリア王国は、イタリア統一戦争の将軍ガリバルディに征服され滅亡。そして1861年イタリア統一が完成し、イタリア王国が成立すると、プッリャも同王国の一部となりました。
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