
マンチェスターの街並み
イギリス北西部にあるマンチェスター。今ではサッカーの街として有名ですが、かつては世界初の産業都市として、まさに「産業革命の代名詞」とまで呼ばれた場所なんです。では、どうしてこのマンチェスターが、産業革命の先頭を走ることになったのか?そこには地理・資源・社会といったさまざまな条件が絶妙に絡み合っていました。今回はその背景を3つの観点から、わかりやすくかみ砕いて解説していきます。
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まずは「どこにあったか」という点からマンチェスターの強みを見ていきましょう。
マンチェスターはランカシャー炭田の近くに位置しており、石炭の供給に困ることがありませんでした。石炭は蒸気機関を動かすための必需品。燃料が安定して手に入るというのは、まさに工場立地における第一条件だったわけです。
マンチェスターから西へ約50kmにあるリバプール港は、当時イギリス最大級の交易拠点。マンチェスターで作られた製品を世界中に送り出すことができました。さらに、リバプールとの間には世界初の鉄道も開通し、物流の効率もぐっと高まったのです。
マンチェスターといえば、やっぱり綿(コットン)。この繊維産業が、産業革命をけん引する原動力となっていました。
アメリカ南部やインドから綿花が大量に輸入され、それを使って布を織る綿工場が次々と建てられました。織機や紡績機の登場によって作業がどんどん機械化され、生産量は爆発的に増加。こうしてマンチェスターは「綿工業の都」として世界的に知られるようになります。
それまでの家内制手工業から脱し、マンチェスターでは蒸気機関を使った機械工業が主流になります。工場には女性や子どもを含む多数の労働者が働き、都市の人口も急増しました。
マンチェスターは単なる工場の街ではなく、当時のイギリスの「新しい社会」の象徴でもありました。
19世紀中ごろ、マンチェスターは自由貿易を支持する運動の中心地でもありました。穀物法の撤廃などを求めて声を上げた「マンチェスター学派」は、自由経済と資本主義の理想を体現していたんです。
一方で、過酷な労働環境に耐える労働者たちが団結権や選挙権を求める運動も展開。マンチェスターは早くから労働運動や社会主義思想が芽生えた都市でもあり、近代市民社会の原点となった場所でもあるのです。
こうしてみると、マンチェスターは「地理」「産業」「社会」のすべてが揃った産業革命の理想郷。まさに時代の風を一身に受けて、世界初の産業都市へと駆け上がったわけです。
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