フォッジャの歴史

フォッジャの歴史

フォッジャは中世に農業と牧畜の拠点として発展した都市だ。神聖ローマ帝国のフリードリヒ2世が支配したことで知られる。本ページでは、フォッジャの経済的役割や歴史的展開、南イタリア史での位置づけを理解する上で重要なこのテーマについて、より詳しく探っていこうと思う。

フォッジャの歴史


フォッジャ(伊:Foggia)は、イタリア南部プーリア州、ナポリの東北約170kmに位置する都市です。イタリアの穀倉地帯タヴォリエーレ平原の中心都市であり、都市名は小麦を貯蔵するための穴倉=ラテン語で「fovea」に由来しています。


フォッジャの時代変遷


古代

現フォッジャの北方に建設された、ギリシャ植民市「アルピ」に起源を持ち、後にアルピを征服したローマ人により都市の原型が作られました。


中世

西ローマ帝国崩壊後、時代が中世に移行すると、シチリア王国神聖ローマ帝国などの統治を通して都市化が進行。しかし1731年に起きた大地震で、市街地の大半が崩壊し、古来からの建築物の多くを喪失しています。


近代

19世紀になりイタリア統一運動(リソルジメント)が過熱すると、フォッジャも宗主ブルボン家に対する反乱を起こすなど、運動に積極的に参加。1861年、統一完成とともにイタリア王国が樹立すると、フォッジャもその支配下におさまりました。


戦後

第二次世界大戦では、フォッジャは南北イタリアを繋ぐ交通・軍事上の重要地点だったので、激しい空爆に曝され大きな損害を被ります。戦後は復興し、穀物生産や食品工業を軸に着実に経済発展を遂げ、現在に至っています。