フランク王国の建国者って誰なの?

フランク王国は481年にゲルマン民族の一派であるフランク人によって建てられました。

 

「カールの戴冠」で有名なカール大帝を輩出しその統治時代(768年〜814年)には最盛期を迎えます。

 

その領土は現在のフランス・ドイツ・イタリア北部を中心に西はイベリア半島、東はオーストリアやスロベニアまでの地域を支配していました。

 

843年にはヴェルダン条約によって西フランク王国・中フランク王国・東フランク王国に分割されます。これが現在のフランス・イタリア・ドイツの原形となります。

 

宗教的にはキリスト教を取り込みローマ=カトリック教会と密接な関係を築いていました。

 

そんな歴史を持つフランク王国を建国したのがクローヴィス1世(在位481年〜511年)です。

 

今回はクローヴィス1世について紹介します。

 

 

クローヴィス1世ってどんな人?

クローヴィス1世は466年にフランク人サリ族の王キルデリク1世の子としてトゥルネー(現在のベルギー)で生まれます。

 

この頃のフランク人はサリ族以外にもリブアリ族などもおり民族の統一が成されていませんでした。

 

481年に父の後を継ぐとまずはゲルマン人を統一しフランク王国を建国します(メロヴィング朝)。

 

民族を統一しフランク王国を建国したクローヴィス1世は領土拡大に動き、486年にはガリア北部(現フランス北部)、491年にはライン地方(現ドイツ西部ライン川沿岸)、496年にはスイス地方までを支配下に治めます。

 

そして、507年にはガリア人最大の勢力であった西ゴート王国をヴイエの戦いで破り、現在のフランス全域を支配にしました。

 

508年には東ローマ帝国皇帝アナスタシウス1世から「アウグストゥス(威厳者)」の称号を贈られました。

 

クローヴィス1世はたった1代で領土を拡大させ、511年に亡くなった際のフランク王国の領土は北は北海、南はピレネー山脈まで広がっていました。

 

キリスト教アタナシウス派を受け入れ勢力を拡大!

クローヴィス1世がたった1代で勢力を拡大できた理由の1つにキリスト教との密接な関係があります。

 

当時のキリスト教は正統のアタナシウス派と異端とされたアリウス派の2派が存在しており、クローヴィス1世をはじめゲルマン人のほとんどはキリスト教アリウス派を信仰していました。

 

これはローマ帝国の皇帝であったコンスタンティヌス1世が325年にアタナシウス派を正統、アリウス派を異端にしたという背景があり、ゲルマン人が旧西ローマ帝国の領地を治めるには宗派を巡って先住民との対立が決定的でした。

 

そのため多くのゲルマン人が先住民との対立で滅んでいくことになります。

 

しかし、クローヴィス1世は妻がアタナシウス派であったことから490年代にアタナシウス派に改宗しました。

 

これ以降クローヴィス1世はローマ教会や貴族らと密接な関係を築くことができ、フランク王国発展の基礎を作りました。