ヒムラーとは何をした人?~国内の言論統制・諜報活動~

ヒムラーとは

ヒムラーは親衛隊全国指導者として警察組織と諜報機関を掌握した。強制収容所の運営や反体制派の弾圧を行ったことで知られる。本ページでは、このあたりのバックグラウンドと後世への影響について詳しく掘り下げていく。

ヒムラーとは何をした人?~国内の言論統制・諜報活動~

ヒムラー


ヒムラーの基本情報

 

氏名:ハインリヒ・ヒムラー
誕生:1900年ミュンヘン
死没:1945年リューネブルク
死因:服毒自殺
官職:全ドイツ警察長官
実行政策:国内の言論統制・諜報活動


ヒムラー(1900年 - 1945年)はナチス・ドイツの政治家で、言論統制や諜報などで絶大な役割を果たした親衛隊の長官です。ナチ政権下ではヒトラーの腹心として、その権力を行使しユダヤ人や反ナチス勢力に対する迫害を実行しました。


そんなヒムラーはバイエルンの小市民出身で、ミュンヘン一揆失敗後にナチスに入党しています。さらに1929年ナチス親衛隊隊長となり、1936年には全ドイツ警察長官にも任命され、全国の政治警察のトップに君臨したのです。


しかし第二次大戦末期に和平を提案したことでヒトラーと対立し、全ての地位をはく奪された末、党から除名されました。その後変装して亡命を企てるもイギリス軍に逮捕され、収容所にて服毒自殺を遂げています。


ヒムラーとヒトラーの関係

ヒムラーは1929年にナチスの親衛隊長になって以来、ヒトラーの右腕的な存在でした。親衛隊(SS)はもともとヒトラーを個人的に護衛する党内武装集団として設立され、その親衛隊長として人一倍ヒトラーへの忠誠心が厚かったヒムラーが選ばれたのです。


ヒムラーはヒトラー同様北方人種の優位性を唱え、ユダヤ人やロマ、スラヴ人などへの差別思想を持っていました。そのため自身も参加したミュンヘン一揆にてヒトラーの演説を聞き彼に心酔。一揆失敗後の1925年ナチスに入党し、後にヒトラーから信任を得て、29年に親衛隊長に任命されたのです。


しかしもはや敗戦必至となった大戦末期、ヒムラーは密かにアメリカとの和平交渉を試みたため、ヒトラーの怒りを買い、全権をはく奪され解任されています。