フン族は、古代において中央アジアのステップ地帯を原住地としていた遊牧騎馬民族です。375年にその一部が黒海沿岸を西進し、ゲルマン一派の東ゴート族、西ゴート族を打倒。ゲルマン民族大移動およびそれにともなうローマ帝国分裂の発端を作りました。
フン族は5世紀中ごろのアッティラの時代に全盛を迎えるも、5世紀後半に西ローマ帝国軍とゲルマン民族の同盟軍により西進を止められ(カタラウヌムの戦い)、アッティラの死後、内紛と征服地の反乱により滅亡の運命をたどりました。
なおフン族のルーツについて匈奴の一派ともいわれますが、異論もありはっきりとしたことはわかっていません。
アッティラは434年から453年までフン族を統治し、その治世の間、フン族はローマ帝国に対して幾度も侵攻を繰り返しました。特に451年のカタラウヌムの戦いは有名で、この戦いでは西ローマ帝国とゲルマン諸部族の連合軍がフン族の進軍を食い止めました。
アッティラの死後、フン族は統一を失い、内紛が勃発しました。また征服地での反乱が相次ぎ、フン族は急速に勢力を失いました。フン族の滅亡後、彼らの居住地には新たな民族が進出し、東ヨーロッパの民族地図は大きく塗り替えられました。
フン族についてわかっていることは非常に少なく、どんな言語を話していたのか、どんな宗教を信仰していたのか、彼らの文化風習は謎に包まれています。
東ローマの歴史家ヨルダネスの記録からモンゴロイドであった可能性が高いとされ、歴史家アンミアヌス・マルケリヌスの記録や考古学的な証拠からフン族は以下のような文化を持っていたとされています。
フン族の移動は、東ヨーロッパから西ヨーロッパにかけての広い範囲に影響を与えました。彼らの侵攻はゲルマン民族の大移動を引き起こし、西ローマ帝国の防衛力を削ぎ、最終的には帝国の崩壊に寄与しました。
フン族の影響は、単なる軍事的な圧力にとどまらず、政治的、経済的な変動をもたらしました。彼らの移動により、ヨーロッパの民族地図は大きく変わり、後の中世ヨーロッパの基盤が形成されました。
このように、フン族の存在は古代ローマ時代の終焉と中世ヨーロッパの始まりに大きな影響を与え、彼らの活動は歴史的に重要な意味を持っています。
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