「背後の一突き」とナチスの台頭

第一次世界大戦の終結からナチスの台頭に至るまで、ドイツ社会には「背後の一突き」という伝説が広まりました。これは、ドイツが戦争に敗北した原因を前線で戦っていた軍隊ではなく、国内の裏切り者や内部の敵、特に「ボルシェヴィキ的なユダヤ人」に求めるプロパガンダでした。今回は、このプロパガンダがどのようにナチスの台頭に影響を与えたのかを詳しく見ていきましょう。

 

 

 

 

「背後の一突き」の起源

「背後の一突き」の萌芽は敗戦前からありました。例えば、全ドイツ連盟の会長であるハインリッヒ・クラスは、1918年10月3日、「偉大で勇敢で勇猛な国民党を設立し、ユダヤ人に対する無慈悲な戦いを求め、我々の善良で誤った民衆の怒りを正当にユダヤ人に向けさせる必要がある」と主張しています。

 

その他にも、1914年からの反ユダヤ主義キャンペーン、そして1916年からのユダヤ人代表者への攻撃などにより、「背後の一突き」の特異な反ユダヤ主義形態が準備されていたのです。

 

「背後の一突き」とナチスの台頭

またヒトラーも、1925年の著書『我が闘争』の中で、「背後の一突き」を反ユダヤ主義に引用しています。実際少なくないドイツ人にとっては、ドイツ革命は戦争の責任を押し付けられ、国民の尊厳を奪われることに繋がった、忌むべき革命でもありました。

 

さらに戦後の経済不況と社会不安によって、このプロパガンダは少なくない人々に受け入れられ、ナチス台頭の土壌形成に寄与してしまったのです。

 

敗北は「アメリカのせい」なのに…

 

第一次世界大戦の軍事的敗北を認めなかったヒトラーとナチス指導者たちは、ユダヤ人の力を過大評価する一方で、第一次世界大戦末期に参戦したアメリカの経済力と軍事力が、ドイツ敗北にどれだけ寄与したかを見誤っていました。「ユダヤ人のせい」と現実を直視しなかったせいで、第二次世界大戦でもアメリカの強大さ大幅に過小評価する結果にも繋がったのですね。

 

「背後の一突き」の後遺症

「背後の一突き」の伝説は、1942年以降も悲劇的な役割を果たしました。ヒトラーの支配体制に疑問を抱くドイツ軍将校は少なくありませんでしたが、彼らはヒトラーに対するクーデターや暗殺に参加することは拒否しました。これは、彼らが裏切り者と見なされ、新たな「背後の一突き」伝説を生み出すことを恐れたからで、結果的にこれがドイツの降伏を遅らせ、多くの被害を生み出し続ける原因にもなったのです。