古代ギリシアのトイレ事情とは?

古代ギリシアのトイレ

古代ギリシアのトイレは公共施設として都市の市場や劇場近くに設けられ、流水を利用した簡素な構造だった。衛生面にも配慮され、社交の場としても機能したとされる。現代の公衆衛生の原点ともいえる存在であった。本ページでは、このあたりの歴史的背景とヨーロッパ文化との関連について詳しく掘り下げていく。

古代ギリシアのトイレ事情とは?

ミノア文明の遺跡から木製の便座が確認されている


排泄行為は全ての生物が行う共通の生理現象であり、文明が発祥する前から、川や穴など「トイレ」に相当する場所というのは存在し、使われてきました。しかし現在私たちが日常的に使っている、便座や下水道が備えられた「水洗型トイレ」の原型ができたのは、およそ6000年前といわれています。



古代ギリシアにトイレはなかった?

最古のギリシア文明の1つであるミノア文明(紀元前2600年頃~前1400年頃)の遺跡からは木製の便座が見つかっていますが、ポリス社会以降(紀元前9世紀頃~)のギリシアにおいて、トイレというのは一般的ではなかったようで、最も多くの記録が残っているアテナイからでさえ、排泄専用の設備や下水施設の遺構は見つかってません。


どこで用を足していた?

古代ギリシアの人々は路地裏などで用を足していたようで、とりわけ人口の多かったアテナイの街は常に不衛生だったようです。


ペストや天然痘といったような疫病蔓延の原因となり、前430年夏の大流行では人口の3分の1にあたる30万人が死亡する悲劇に見舞われています。古代ギリシア衰退の原因としてこの不衛生、トイレの不備が挙げられることすらあるくらいです。


トイレ、下水設備完備の古代ローマ

反面、のちにギリシアを征服することになるローマは、クロアカ・マキシマが代表するように、上下水道網が高度に発達しており、公衆トイレの整備も進むなど、公衆衛生の意識は高かったようです。