アメリカ合衆国とバチカン(および教皇領)の関係は、アメリカ合衆国建国まもない18世紀末から始まりました。
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アメリカは、最初の入植者であるオランダ人・イングランド人がことごとくプロテスタントだったので、当然プロテスタントが支配的な国となり、カトリックの総本山たるバチカンとの関係は、建国からしばらくの間、良好とはいえませんでした。
リンカーン暗殺事件において、共謀者メアリー・サラット(1820 ? 1865)の息子がカトリックであり、かつアメリカを逃れバチカンに亡命した事実から、「教皇が暗殺に関わっていたのでは」という陰謀説が流れたくらい、反カトリック感情が強かったのです。
上述した理由で良好とはいえなかった両国の関係ですが、冷戦期における「反共」という共通課題が両者を接近させ、1984年にようやく正式な外交関係が樹立されています。
以降は交流が進展し、近年ではオバマ、トランプ、バイデンと三代続けてローマ教皇と会談するなど、おおむね良好な関係が維持されているのです。
無神論者が増えたというのもありますが、カトリックの総本山バチカンと、プロテスタント主流の超大国アメリカの関係改善は、カトリックvsプロテスタントという宗派対立の時代が、終わりを迎えたことを象徴しているといえます。
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