フランス革命期に恐怖政治が敷かれたのは、対外戦争が激化していき、国家総動員の総力戦体制を敷く必要があったことが大きな理由です。
フランスと反革命のヨーロッパ諸国との戦争(フランス革命戦争)が始まったのは1792年で、翌93年3月10日には上告審がなく強力な決定権を持つ革命裁判所(革命裁)が設置されました。
そして同年4月には公安委員会が発足し、反革命派への厳格な取り締まりを強め、恐怖政治への道を開いたのです。
恐怖政治を推し進めたジャコバン派のロベスピエール
さらに5月にロベスピエールがジロンド派を裏切者として粛清を開始し、6月にはジャコバン派独裁が始まり、9月5日に恐怖政治が公式に宣言されたのです。
恐怖政治の対象は王党派、反革命派、過激派などで、次々と逮捕・処刑されていき、フランス全体で約2万人が処刑されています。
なおフランス革命における処刑というとギロチンのイメージが強いかもしれませんが、実際に多かったのは銃殺刑でした。
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