ビスマルク体制におけるイギリスとドイツの同盟とは?

ビスマルク体制とイギリス・ドイツの同盟

ビスマルク体制では、イギリスとの正式な同盟は結ばれなかったが、対立を避けるための友好的関係が維持された。海軍拡張や植民地政策の抑制がその背景にあった。本ページでは、さらに英独関係の変化や外交判断の理由などについても詳しく解説していく。

ビスマルク体制におけるイギリスとドイツの同盟とは?

ビスマルク体制下において、ドイツとイギリスとの間ではどのような同盟が結ばれていましたか?

ビスマルク体制において、ドイツ・イギリス間の直接的な同盟は結ばれていません。


もちろん「フランスの孤立」を目的とするビスマルク体制にとって、フランスとイギリスに手を組まれることは厄介なことこの上ないのですが、当時のイギリスは「光栄ある孤立」という大陸不干渉政策をとっていたので、両国が同盟を結ぶことは考えにくい状況でした。


そもそも論としてイギリスと中立保障の同盟を結ぶ必要性はそこまで高くなかったのです。


ビスマルク体制が構築された時期は、イギリス全盛のビクトリア王朝時代と重なる。この時期のイギリスは、その圧倒的な国力により、大陸情勢から距離を置いた孤立主義的政策をとることができた。


ロシアの伸長を警戒し地中海協定を手引き

ただし、ドイツはロシアとは同盟を結んでいたので、ロシアの南下政策(オスマン帝国への進出)に寛容にならざるを得ない中、ロシアがオスマン帝国を滅ぼして地中海に進出することは警戒していました。


そこでイギリスとイタリアに働きかけ、地中海協定という、ロシア拡大を牽制する同盟を結ばせています。ビスマルクはこのように二面性を持った秘密外交により、ヨーロッパの勢力均衡を維持しようとしていたのです。