ロンドンの歴史

ロンドンの街並み

 

ロンドンは、イングランド南東部のテムズ川河畔に位置する同国の首都です。約1,569平方メートル、約840万人もの人口を擁するヨーロッパ最大の都市で、産業革命の中心地として飛躍的な発展を遂げて以降、常に世界の政治・経済をリードし続けています。

 

国会議事堂・バッキンガム宮殿・大英博物館など目を惹く歴史建築物が充実する「観光都市」、ヨーロッパで最も多くの高等教育機関を有する「学問都市」などの顔もあります。

 

 

ロンドンの語源

「ロンドン」という地名の由来は諸説ありますが、古代ロンドンのケルト系先住民「ロンディノス(野性的の意)族」の名前にちなんだもの、という説が有力な一説として挙げられています。

 

ロンドンの発展史

古代〜中世のロンドン

1世紀半ば、ローマ帝国に建設された砦「ロンディニウム」が、現ロンドンの基礎となりました。ロンディニウムはローマ属州ブリタニアの中心地として栄え、ローマ人が去った後も、アングロ・サクソン人によるイングランド王国(10世紀成立)の首都として、引き続き発展を続けました。

 

近世のロンドン

近世ロンドンは宗教改革の時代です。国王がローマ教皇と離別し、イングランド国教会を介して、王権による宗教統制を開始したのです。この改革により、もともとカトリックが優勢だったロンドンでもプロテスタントへの改宗が進んでいました。エリザベス1世(在位:1558年−1603年)の時代に、統一法の制定やカトリックの排除が一挙に進み、国教会の体制がより安定的なものとなりました。

 

近現代のロンドン

近代に入り、イギリスは世界中に進出し、植民地帝国を建設します。世界の秩序がイギリスによって保たれる「パックス・ブリタニカ(イギリスによる平和)」を体現し、その恩恵を最も多く享受したロンドンは、近代都市として世界の政治・経済をリードする地位を確立しました。

 

イギリス黄金の時代は、20世紀における二度の大戦にともなう疲弊で終わりを迎えますが、ロンドンの世界都市としての地位はいまだに揺らいでいません。

 

都市化にともなう社会問題

産業革命にともなう都市化による人口過密は、ペスト大流行(1665年)、ロンドン大火(1666年)、コレラ大流行(1854年)といった問題を引き起こし、人口過密にともなう渋滞を解消するために、1863年には世界最古の地下鉄ロンドン地下鉄が開通が開通しています。

 

全盛期ロンドンに留学した文豪
 


明治日本の文豪・夏目漱石は1900年から1902年にかけてロンドンに国費留学し、その経験をもとに『倫敦塔』を執筆しました。