
イタリア屈指の工業都市トリノの街並み
イタリアの産業革命──この言葉を聞いて、あまりピンとこない人も多いかもしれません。でも実はイタリアでも、19世紀の中ごろから20世紀初頭にかけて、じわじわと産業化の波が広がっていったんです。ただしイギリスやドイツのような“大規模で急激”な革命ではなく、どちらかというと「分断された地理」「不均等な発展」「国家統一とのタイミングの重なり」が特徴的な、イタリアならではの産業革命だったんですね。このページでは、そのスタート時期や背景を3つの視点から整理して解説していきます。
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イタリアの産業化は、国としての統一とほぼ同時に動き始めたんです。
イタリアで産業革命が本格化するのは1860年代以降、つまりリソルジメント(統一運動)によるイタリア王国の成立(1861年)とほぼ同時です。国家がまとまって初めて、鉄道・通信・関税制度などの全国インフラ整備が始まり、経済を動かす下地がつくられていきました。
とくにミラノ・トリノ・ジェノヴァなど、北イタリアの都市では繊維業・金属加工・機械製造が発展し、20世紀初頭には「イタリアの工業三角地帯」と呼ばれるようになります。一方、南部は依然として農村社会のままで、地域差が非常に大きいのが特徴でした。
イタリアが他の欧州諸国に比べて産業革命のスタートが遅れたのには、いくつかの歴史的事情がありました。
イタリアは19世紀半ばまで小国の集合体でした。統一国家が存在しなかったため、統一された市場・鉄道網・貨幣制度が存在せず、産業資本の蓄積も遅れがちだったんです。
イギリスやドイツに比べて、イタリアには石炭や鉄鉱石といった天然資源が少なかったんです。また、工業を支える銀行や投資資本もなかなか育たず、産業化のスピードは非常にゆっくりとしたものでした。
遅れて始まったとはいえ、20世紀初頭には確かな変化が見え始めます。
19世紀末には鉄道建設が全国に広がり、ミラノやトリノでは機械工業や自動車産業(のちのフィアットなど)が誕生。これによって工業化はようやく“第二段階”に入っていきます。
ただし南部(ナポリ以南)は依然として近代化が遅れ、教育・インフラ・雇用すべてにおいて格差が広がっていきます。この結果、多くの南イタリア人がアメリカなど海外へ移民するという社会現象も起こるんです。
イタリアの産業革命は、1860年代の統一から始まった“遅れてきた革命”でした。でもその遅れこそが、イタリアの南北問題や地域バランスの複雑さを生み出したとも言えるんですね。革命は起きたけれど、それが国全体に波及するには時間がかかったわけです。
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