臨時政府が戦争継続の方針を崩さなかったのは、協定を破棄して英仏など連合国との関係が悪化したり、ドイツなど同盟国から莫大な賠償金支払いや領土割譲の要求を突きつけられる可能性を恐れたからです。
しかし総力戦に付き合わされ食糧不足に苦しむ民衆は、そんな事情を汲む余裕はないので、戦争反対と社会主義革命を訴えるレーニンを支持しました。
期待に応えたレーニンは武装蜂起の方針を固め、1917年11月(ロシア歴10月)臨時政府の置かれる冬宮殿を占拠し、無血で権力を掌握。1918年3月ブレスト・リトフスク条約でドイツなど同盟国側と講和し、第一次大戦から離脱したのです。
ブレスト=リトフスク条約調印の様子。左側が中央同盟国、右側がソビエト・ロシアの代表団。
このことで旧ロシア帝国時代の領土(ポーランド、バルト三国、フィンランド、ウクライナ)などの領有を放棄することになりましたが、社会主義革命遂行には欠かせない「平和」を実現することができました。
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