ヘンデルとは何をした人?~音楽の母~

ヘンデルとは

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルは18世紀のドイツ出身作曲家であり後にイギリスで活躍した音楽家であった。『メサイア』などの宗教音楽で「音楽の母」と称されたことで知られる。本ページでは、このあたりのバックグラウンドと後世への影響について詳しく掘り下げていく。

ヘンデルとは何をした人?~音楽の母~


ヘンデルの基本情報

 

生年:1685年
没年:1759年
出身:ハレ
死没地:ロンドン
別名:「音楽の母」
代表作:『メサイア』


ヘンデル(1685年 - 1759年)はバロック音楽を代表するドイツ生まれの音楽家で、とりわけオペラやオラトリオの作曲で知られます。幼少期からオルガンを学び、青年期にはハレ教会のオルガン奏者を経験。1703年(18歳)からハンブルクでオペラの作曲に取り組むようになりました。さらに1706~10年のイタリア遊学を経てヘンデル様式の基礎を確立しています。1710年イギリスに渡ってからはずっとイギリス暮らしで、宮廷学長としてイギリス王室のため様々な曲を手がけています。



ヘンデルの生涯

1685年 誕生

2月23日、宮廷付き外科医の子として、ドイツ中部のハレに生まれる。


1702年 大学入学

ハレ大学法科に入学。同じ頃、オルガン奏者としての仕事も始め、生涯の付き合いとなるテレマンとも出会う。


1703年 ハンブルクで活動開始

ハンブルクに拠点を移し、バイオリン奏者、チェンバロ奏者として経験を積む。1706年には『アルミーラ』を上演。


1706年 イタリアで活動開始

イタリアに拠点を移し、その活動を見たローマ貴族からその楽才を認められる。1708~9年にはナポリで『アーチとガラテアとポリフェーモ』を、ヴェネツィアで『アグリッピーナ』を上演し、その成功から大きな名声を得る。


1710年 イギリスで活動開始

ロンドンにてオペラ『リナルド』が成功したのを機に、活動の本拠をイギリスに置くようになる。12年から13年にかけて『忠実な羊飼い』(1712)、『テセオ』(1713)などのオペラを手がけた。


1717年 『水上の音楽』上演

イギリス国王ジョージ1世の舟遊びに際して管弦楽組曲『水上の音楽』を上演する。以後ヘンデルはジョージ1世の寵愛を受けるようになる。


1727年 『戴冠式アンセム』上演

ジョージ1世の死後即位したジョージ2世の戴冠式に際し『戴冠式アンセム』を上演する。また同年にはイギリス国籍を取得している。


1759年 死去

ロンドンにて死去。生前の意向にもとづきウェストミンスター寺院に埋葬された。