ヨーロッパの戦争

ヨーロッパの起源は戦争という鉄床の上でたたき出されたのだ。

 

マイケル・ハワード著『ヨーロッパ史における戦争』より

 

戦争(英:war)とは、自衛や国益、あるいはあらゆる政治目的のために、軍事力を行使して行われる政治共同体同士の闘争です。一般的に国家間戦争を指す場合が多いですが、広義には内乱や暴動も含み、また国家間戦争でも、侵略戦争・防衛戦争・宗教戦争など動機や目的によって様々な種類があります。いずれも古来より世界中で起こっていたものですが、王朝間や国家間の対立・覇権争いがデフォルトであったヨーロッパでは特に多く繰り返され、ヨーロッパはもちろん、ヨーロッパ枠外の政治・経済・文化・科学にも大きな影響を与えてきました。

 

 

戦争状態とは

国際法上でいう「戦争状態」というのは「宣戦布告(英:declaration of war)」により成立するものです。これは武力行使を必ずしも伴いませんが、戦争状態に入ったら交戦国同士の国交は断絶し、「敵国」への威嚇や挑発が繰り返されるなど、いつ軍事衝突が起きてもおかしくない緊張状態が成立します。そして一般的には降伏・休戦を経ての交戦国同士の講和条約の締結により「戦争終結」とみなされます。

 

戦争の非合法化

戦争とはあらゆる紛争解決手段の中でも、とりわけ破壊と暴力をもたらすものとされていますが、かつてはそれも「正当な権利」とみなされ、交戦国同士は法的に平等な立場とされました。しかし中世末以降から、「正当な原因がないかぎり許されない」とする正戦論、「戦争法規に従わなけれなならない」とする無差別戦争観と、少しずつ戦争が「基本的には悪いもの」とする考えが広まっていき、第一次大戦後にはパリ不戦条約(1928年)により武力行使による紛争解決がついに禁じられたのです。

 

現在では国連憲章下において、自衛の場合をのぞき戦争、および軍事力を振りかざした威嚇なども完全に非合法とされた上、そもそも論として「戦争が国益に繋がる」という考え自体も否定されるようになりました。とりわけヨーロッパでは、未曾有の被害を生み出した「二つの大戦」を経験したことで、人道主義の観点からも戦争は憎むべきものという考え方が定着したのです。 

 

 

戦争の歴史

古代の戦争

戦争は人類が集団を形成し始めた時から起こっていたものですが、太古の戦争といえば、農地などに利用する土地をめぐる争いが主流で、武器には土器や石器、青銅器を用いる「小競り合い」程度のものでした。しかし鉄器という強力な武器が生まれ、それを利用した民族が勢力を拡大し「領域国家」を形成するようになると、戦争の規模も徐々に拡大。投石器のような大型兵器も登場するようになります。そしてヨーロッパ文明の揺籃となった古代ローマは、マケドニアやカルタゴ、エジプトといった領域国家を戦争により打倒していき、領土を併合することで史上類をみない大帝国を築き上げました。

 

近代の戦争

近代以降の戦争の基礎を作ったのは、常備軍を創設したスウェーデン王グスタフ2世アドルフ(在位:1611〜1632年)とされています。長らく軍事といえば騎士階級や傭兵が担う専門職的な面がありましたが、ナポレオンが独立農民を戦争に動員する国民皆兵制度を初めて導入し、「国家総力戦」の原型を作りました。そしてナポレオンの軍隊は一時は大陸ヨーロッパのほとんどを支配下に置くほど強力だったため、その強さを目の当たりにしたヨーロッパ各国は、ナポレオンに習い次々とこの国民皆兵制度を導入。これで近代的戦争の基礎が固まったのです。

 

国家総力戦

近代以降の戦争は、兵士だけでなく、一般国民をも巻き込むようになり、さらに産業革命にともなう技術刷新で兵器の殺傷力も増したことで、これまでと比較にならない犠牲者を生み出すようになりました。軍艦や潜水艦、戦車など兵器の大型化も進み、そんな状態で勃発した「二つの大戦」は、その国の人員・生産力・軍事力・技術力を総動員する「国家総力戦」という未曾有の戦争になったのです。

 

冷戦

第二次世界大戦後は、アメリカ・ソビエトという新たな超大国同士の覇権争いの中、「核戦争」という大量破壊兵器を用いた新たな戦争の脅威が生じます。もしも勃発すればこれまでと比較にならない犠牲が生じ、下手をすれば世界が滅亡するかもしれないという緊張感により、対立しながらも最悪の事態を想定し直接の軍事衝突は起こらない「冷戦」という新しい戦争のあり方が生まれました。そして二つの大戦で深刻な人的・経済的被害を被ったヨーロッパは、その脅威の荒波に揉まれながら、二度と戦争を起こさないための平和への道を模索していったのです。

 

現代の戦争

21世紀になると、経済戦争・貿易戦争・サイバー戦争などと呼ばれる、冷戦とはまた意味合いが異なる直接の軍事衝突をともなわない国家間の争いが激増しました。一方で武力行使をともなう戦争といえば、先進国へのテロ行為やそれに対する報復戦(対テロ戦争)、民族・宗教対立に端を発する内戦が主流になり、その戦争の勝敗は、もっぱら科学技術の優劣に依存するようになりました。

 

 

ヨーロッパの戦争一覧

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ラティウム戦争

ラティウム戦争は、イタリア半島のラティウムを舞台に、共和政ローマとラティウム人(ラテン人)を中心とした同盟勢力が争った戦争です。戦いは紀元前498年〜紀元前493年、紀元前340年〜紀元前338年と二次にわたり行われましたが、両方ともローマの勝利で終わっています。ラティウムというのは、イタリア中部の州ラツィオのラテン名で、本来ラティウム人の居住地だった場所。ラティウム戦争の結果、この地はローマの支...

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ペルシア戦争

ペルシア戦争は、紀元前499年から紀元前449年にかけ、ギリシア諸ポリスの連合とペルシア帝国との間で3度に渡って行なわれた戦争です。ペルシア帝国に対して隷属か自立かを分かつ決死の戦いであり、戦後は政治体制の大きな変革が起きるなど、古代ギリシャ史にとって重要な画期となりました。戦争の原因ペルシアは小アジア沿岸のイオニア地方を支配下に置いていましたが、イオニア地方はギリシア本土の対岸にあたり、古来より...

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サラミスの海戦

サラミスの海戦は、紀元前480年、アテナイを中心としたギリシア艦隊と、ギリシア征服を目論むペルシア艦隊がサラミス島近海で衝突した海戦です。ペルシア戦争最大かつ、ペルシアからのギリシア防衛を決定的なものにした決戦として名高いです。サラミスの海戦の背景サラミスの海戦直前に起こったテルモピュライの戦いでは、ペルシア軍によりギリシア最強のスパルタ軍が全滅させられ、第1次防衛線が崩壊してしまいます。同じ頃ア...

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アルテミシオンの海戦

アルテミシオンの海戦は、紀元前480年、エウボイア島北端部のアルテミシオン沖で起こった、ペルシア戦争中の戦闘の一つです。アテナイを中心とするギリシア海軍とアケメネス朝ペルシア遠征軍の艦隊が衝突し、両軍の兵力差はギリシア艦333隻、ペルシア艦2600隻と、2000隻以上の開きがありましたが、ギリシア側は巧みな戦術により善戦しています。一方ギリシア側の消耗も激しく、テルモピュレでペルシア陸軍にスパルタ...

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ペロポネソス戦争

ペロポネソス戦争は、紀元前431年〜紀元前404年に、アテナイを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟との間で行われた、ギリシア全土を巻き込んだ大戦です。この戦争に敗れたアテナイはギリシアの盟主としての座をスパルタに奪われる結果になりました。ペロポネソス戦争の原因ペルシア戦争において、アルテミシオンの海戦やサラミスの海戦で多大な戦果を挙げたアテナイ。同国は戦後、ペルシアの再度の...

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アッリアの戦い

アッリアの戦いは、紀元前387年、ガリア人によるローマ侵略をきっかけに起こった戦いで、結果惨敗したローマはガリア人による破壊・略奪行為で多大な被害を被りました。しかし戦後、大敗の反省から、城壁の建設・軍隊の再編成・実用的な武器の標準化などの改革に取り組み、ローマはより強化された軍事力を背景に、いっそう勢力を広げていくことになるのです。アッリアの戦いの背景ガリア人が新たな定住地を求め、ローマ領土に侵...

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カイロネイアの戦い

カイロネイアの戦いは、紀元前338年、テーバイ領ボイオティア地方カイロネイアで起こった、ギリシア北方で影響力を強めるアルゲアス朝マケドニアと、その伸張を脅威とみたアテナイ・テーバイ連合軍との間で起こった戦いです。この戦いでマケドニアが大勝した結果、ほとんどのギリシアポリスはマケドニアの支配下におかれ、ギリシア文明を牽引してきたアテナイの民主政も終焉を迎えるなど、古代ギリシャ史の大きな転換点となりま...

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サムニウム戦争

サムニウム戦争は、共和政ローマによるイタリア半島統一政策の過程で、ローマ軍とサムニウム人部族との間で行われた戦争です。戦いは前343年から前290年の半世紀にかけ三次にわたり勃発し、結果全ての戦いにローマ軍が勝利をおさめたことで、ローマはイタリア半島の統一を成し遂げることができました。第一次サムニウム戦争戦争期間:前343年〜前341年この戦争はもともと、造山帯に暮らすサムニウム人と、平野部のカン...

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ディアドコイ戦争

ディアドコイ戦争(前323〜前280頃)は、マケドニア王アレクサンドロス3世亡き後、その配下の将軍たちが、王の後継者(ギリシア語でディアドコイ)の座、つまりアレクサンドロス3世の治世で築かれた広大な帝国領の覇権を巡り繰り広げた戦争です。アレクサンドロス3世の没年前323年から、コルペディオンの戦いで決着がつく前281年までと、約40年と長期にわたって続けられました。戦争の開始マケドニア王国は前4世...

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イプソスの戦い

イプロスの戦いは、紀元前301年、現トルコ中西部イプソスで起こった、アレクサンドロス3世 (大王) の後継者を巡るディアドコイ戦争の戦いの1つです。この戦いにより半世紀近く続いたディアドコイ戦争は終結をみて、広大なマケドニア領土は3つに分裂する結果となりました。戦争の背景紀元前323年、アレクサンドロス3世が死去すると、マケドニア各地の有力者が、その広大な領土を継承する後継者として名乗りを上げ、デ...

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ポエニ戦争

ポエニ戦争は、前3世紀から前2世紀にかけて、共和政ローマとカルタゴとの間で地中海世界の覇権を巡って争われた戦争です。戦いは三次に渡って行なわれましたが、全ての戦いで勝利を収めたローマが、カルタゴ領土を自国の勢力圏に組み入れた上で、地中海世界の覇権を確立しました。なおカルタゴはフェニキア人に創設された植民市が発展して出来た国で、「ポエニ」とはラテン語で「フェニキア人」を意味しています。第一次ポエニ戦...

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マケドニア戦争

マケドニア戦争は、ギリシア世界の盟主マケドニア王国と、イタリア半島を拠点に地中海世界で勢力を拡大していた共和政ローマとの間で、前215年から前148年まで四次に渡って行なわれた戦争です。ギリシア世界の命運を左右する戦いでしたが、最終的にはローマが勝利し、マケドニア王国は滅亡、ギリシア全土はローマの支配下に置かれることになりました。この戦争終結を境にヨーロッパ文化の牽引役はギリシアではなくローマへと...

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カンナエの戦い

カンナエの戦いは、紀元前216年8月2日、カンナエで行なわれた、共和政ローマとカルタゴ間の戦いです。地中海世界の覇権を巡り争ったポエニ戦争の戦いの1つですが、この戦いではローマ軍はハンニバルの巧みな戦術により殲滅されています。ローマが戦史上最も苦戦を強いられた戦いの1つです。カンナエの戦いの背景カンナエの戦いを指揮したのは、生涯ローマとの戦いに身をささげ、ローマ史上最強の敵として語り継がれているハ...

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ローマ・シリア戦争

ローマ・シリア戦争(シリア戦争、アンティオコス戦争とも)とは、紀元前192年から紀元前188年に、共和政ローマと、セレウコス朝シリアの間で起こった戦争です。征服地の小アジアから西進し、ヨーロッパ世界征服を目論むセレウコス朝アンティオコス3世の軍勢を、ローマ軍が迎え撃った形。結果はローマの勝利となりシリア王の野望はくじかれ、セレウコス朝も前63年にはポンペイウス率いるローマ軍に逆に攻め入られ滅ぼされ...

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ルシタニア戦争

ルシタニア戦争は、紀元前155年から紀元前139年の間に、イベリア半島の西にあるルシタニアにて、共和政ローマとルシタニ人との間で行われた戦争です。ローマは第二次ポエニ戦争の結果で、イベリア半島海岸部を勢力下に入れていましたが、この領域に半島西部のルシタニア人が進出し始めたことが戦端となりました。この戦争の結末は実にあっけないもので、前140年、ローマが刺客を使いルシタニアのヴィリアトゥス王を暗殺し...

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ヌマンティア戦争

ヌマンティア戦争(第二次ケルティベリア戦争)は、紀元前153年から紀元前133年に起こった、イベリア半島中部ヒスパニアのケルティベリア人と共和政ローマとの間で起こった戦争です。戦争の背景イベリア人とローマ人の戦いは2度目であり、イベリア人一派のケルティベリア人は、第一次ケルティベリア戦争で一度ローマに破れています。ローマは講和条約の1つとして、ケルティベリア人に城壁都市を築くことを禁じていたのです...

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奴隷戦争

第一次奴隷戦争ローマにおける奴隷戦争といえば、剣闘士奴隷スパルタクスによる「スパルタクスの乱(第三次奴隷戦争)」が、何度も映画化・ドラマ化などされていることもあり最も有名ですが、奴隷によるローマへの大規模な反乱は、実はそれ以前にも2回起きています。うち一度目の反乱が紀元前135年から紀元前132年にかけて発生した第一次奴隷戦争です。戦争の背景第一次奴隷戦争は、ポエニ戦争の結果ローマ属州となったシチ...

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ユグルタ戦争

ユグルタ戦争とは、紀元前112年から紀元前106年にかけ、共和政ローマと、北アフリカのヌミディア王ユグルタとの間で起こった戦争です。マリウスの兵制改革を背景にローマが勝利をおさめ、北アフリカの支配確立とともに地中海覇権を確固たるものにしました。戦争の背景ヌミディアは北アフリカ、現アルジェリア北東部周辺にあたる地域に存在した王国です。もともとローマの保護国であり、親ローマの王が即位していたので関係は...

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ノレイアの戦い

ノレイアの戦いは、キンブリ・テウトニ戦争(前113年〜前101年)中の前112年、ノリクムのノレイアにて、共和政ローマとキンブリ人・テウトニ人同盟勢力の間で行われた戦いです。ローマ側がだまし討ちでキンブリ・テウトニ勢力の殲滅を目論むも、策略に気づかれたことで逆に相当な被害を受けてしまう結果になりました。戦争の背景紀元前120年から紀元前115年にかけ、スカンディナヴィア半島一帯に居住していたキンブ...

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キンブリ・テウトニ戦争

キンブリ・テウトニ戦争は、紀元前113年から紀元前101年の間、共和政ローマとゲルマン系のキンブリ人およびテウトニ人との間で行われた戦争です。戦いは地中海世界各地で繰り広げられ、最終的にローマの勝利に終わりました。キンブリ・テウトニ戦争の開始スカンディナヴィアに原住地を持つキンブリ人が南下を始め、ローマと同盟関係にあったタウリスキ人に攻撃を始めたことが始まりです。キンブリ人は南下中テウトニ人と合流...

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アラウシオの戦い

アラウシオの戦いは、紀元前105年、ローマ属州ガリア・ナルボネンシスのアラウシオ(現フランス・オランジュ)近郊で、共和政ローマ軍とキンブリ人・テウトニ人の同盟勢力が衝突し起こった戦いです。キンブリ・テウトニ戦争の戦いの一つで、「蛮族」に対し立て続けに大敗を喫したローマにとって屈辱的な戦いにもなりました。戦争の背景紀元前120年から紀元前115年にかけ、スカンディナヴィア半島一帯に居住していたキンブ...

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アクアエ・セクスティアエの戦い

アクアエ・セクスティアエの戦いはキンブリ・テウトニ戦争の戦いの1つで、紀元前102年アクアエ・セクスティアエにて、共和政ローマとテウトニ人との間に起こった武力衝突です。北方から侵入してくるキンブリ人に対し、ノレイアの戦い(112年)、アラウシオの戦い(前105年)と連敗を重ね「キンブリの恐怖」ともいわれる社会混乱に陥っていたローマですが、この戦いでようやく勝利を収め、優勢に転じることができました。...

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ウェルケッラエの戦い

ウェルケラエの戦いは、紀元前101年、ガリア・キサルピナに侵入したキンブリ人の軍勢と、それを迎え撃った共和政ローマとの間で起こった、キンブリ・テウトニ戦争中の戦闘の一つです。キンブリ・テウトニ戦争におけるローマ側の勝利を決定的とした戦いでもあります。アルプスのすぐ向こう側まで迫るキンブリ人の進撃は、ローマ社会に「terror cimbricus (キンブリの恐怖)」と呼ばれる大混乱をもたらしていた...

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同盟市戦争

同盟市戦争は、紀元前90年、共和政ローマと同盟関係にあったイタリア各地の都市や部族が、ローマ市民権を求めてローマに対して蜂起したことで起こった戦争です。同盟市戦争の背景当時ローマは戦争の長期化で、兵力の主体たる中小農民が没落し、ローマの防衛力はひどく脆弱化してしまっていました。そこで中小農民から兵隊を確保していた従来の軍制から、無産農民(貧民)を募集し、職業軍人として訓練し育てる軍制にシフト。後世...

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ミトリダテス戦争

ミトリダテス戦争は、前88年から前63年までの三次にわたり、共和政ローマとポントス王国の間で行われた戦争です。ポントスは、前4世紀末、アナトリア地方の黒海南岸に建設された国家で、肥沃な土地と豊富な鉱物資源を背景に前1世紀前半には全盛期を迎えていました。一方拡大するローマの影響力を警戒し、前91年の同盟市戦争では反ローマの姿勢を明確にします。そんな中で、前88年ミトリダテス6世はローマの同盟国へ侵略...

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カルラエの戦い

カルラエの戦いは、紀元前53年、共和政ローマと古代イラン王朝パルティアの間で行われた戦争です。パルティア戦争は217年までに8回も勃発していますが、カルラエの戦いは第一次パルティア戦争の最終局面となった戦いでもあります。結果はローマの敗北と終わり、指揮官のクラッススが戦死したことでカエサル、ポンペイウス、クラッススによる三頭政治は終焉を迎えました。カルラエの戦いの結果カルラエの戦いの指揮をとったの...

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ガリア戦争

ガリア戦争は、紀元前58年から紀元前51年にかけ、ガリア征服をもくろむ共和政ローマと、それに抵抗するガリア人との間で起こった戦争です。前52年アレシアの戦いにおけるローマ軍の勝利で実質的に戦争は終結しました。ガリアがローマ領になったことで、それまで地中海世界にとどまっていたローマ文化がさらに北方の地にまで浸透していくことになり、現ヨーロッパ世界の原型が完成しました。ガリア戦争の場所ガリア戦争の舞台...

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パルティア戦争

パルティア戦争とは、古代ローマとアルサケス朝パルティアとの間で、紀元前53年から紀元後217年まで、八次にわたり行われた戦争です。パルティアは、西アジアの広い範囲(現在のイラク、イラン、トルクメニスタンなど)を支配下に置いていた古代イランの王朝で、前1世紀頃から地中海世界で覇権を広げるローマと、アルメニアやメソポタミアなどの支配権を巡りたびたび衝突していました。ローマとの長期に渡る戦争で疲弊してい...

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ローマ内戦

ローマ内戦とは、前49年から前45年に、グエナウス・ポンペイウスとガイウス・ユリウス・カエサルの対立から発展した一連の内戦のことです。停滞した元老院支配が続くローマに対し、カエサルが起こした反逆戦争ともいえ、最終的には、カエサルが元老院派のポンペイウスを打倒し、独裁体制を完成させる形で終結しました。ローマ内戦の背景当時のカエサルは、ローマが長年成し遂げられずにいた「ガリア平定」という大仕事を成し遂...

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ナウロクス沖の海戦

ナウロクス沖の海戦は、紀元前36年9月3日に起こった、反カエサル派のセクストゥス・ポンペイウス軍と、カエサル派のオクタウィウス軍が、シチリア島ナウロクス沖の海戦です。セクストゥスはカエサル、クラッススと共に三頭政治の一角を担ったグナエウス・ポンペイウスの息子。父の死後、その支持基盤を受け継ぎ、カエサル派への抵抗を続けていましたが、前36年ナウロクス沖の海戦で大敗後、アナトリア半島西海岸のミレトスで...

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アクティウムの海戦

アクティウムの海戦は、紀元前31年、オクタウィアヌスとアントニウスが地中海の覇権をめぐり争った戦いです。エジプト王朝が反オクタウィアヌスとして介入する大規模な戦いになりましたが、最終的にはオクタウィアヌスが勝利し、100年以上続いた内乱の一世紀にも終止符が打たれました。海戦の場所オクタウィアヌス派とプトレマイオス朝およびアントニウス派連合軍が衝突たのは、シチリア島・イタリア半島南部・ギリシアに囲ま...

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エデッサの戦い

エデッサの戦いは、260年、現在のトルコ南東部エデッサで、ローマ帝国軍とササン朝ペルシア軍が衝突した戦争です。ローマ帝国各地で軍閥が割拠した軍人皇帝時代(235〜285年)に起こった戦争の1つで、結果はローマ帝国軍の敗北に終わっています。エデッサの戦いの結果3世紀に入り、ペルシア軍はローマ帝国領への侵攻を繰り返すようになっており、253年バルバリッソスの戦いではローマ軍を全滅に追いやった上でローマ...

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ゴート戦争

ゴート戦争は、376年から382年にかけて、ゲルマン系民族のゴート族が、ローマ帝国領内のバルカン半島に侵入したことをきっかけに、ローマ人とゴート族との間で行われた戦争です。ゲルマン民族大移動(375年〜)に端を発する地中海世界の混乱事象の1つといえ、ローマがこの戦争で被った被害は西ローマ帝国滅亡の遠因となりました。ゴート戦争の背景当初ローマは侵入してきたゴート族の帝国領内への移住を認め、ゴート族か...

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ローマ略奪(410年)

ローマ略奪は、410年、西ローマ帝国領ローマにゲルマン民族のゴート族が侵入し、略奪や破壊を行った事件です。当時のローマはすでに帝国の首都ではなくなっていたものの、「永遠の都」として象徴的地位を持っており、直接的な侵略とも無縁だったことから、この都の陥落は全ローマ市民を震撼させました。ローマ帝国末期の衰退を象徴する出来事でもあります。ローマ略奪の背景375年以来、フン族からの圧迫を受けたゲルマン人が...

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ルーシ侵攻

ルーシ侵攻は、1223年および1236〜40年に行われた、モンゴル帝国によるルーシ諸国(現在のウクライナ、ロシア、ベラルーシ)への征服戦争です。1223年のカルカ河畔の戦いに端を発し、1236年のバトゥ征西から本格化。ルーシ諸国を支配していたキエフ大公国が政治的に分裂し、まとまりを欠いていた時期をつかれ、1240年、首都キエフが将軍バトゥ率いるモンゴル軍の手に落ちました。以後、キプチャク・ハーン国...

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百年戦争

本協定は、人々の間の平和と愛と慈悲とを垂れたもうわれらが創造主、神の畏敬と栄光にかけて、このうえの人々の流血を阻まんがために、さらにはまた、この王国で久しきにわたり続いてきた忌まわしい数々の苛烈きわまる戦乱の折りおりに、憐れなキリスト教徒の身の上に降りかかった、またこの後もさらに降りかかることもあろう、恐ろしくもおぞましい数々の災禍、罪業と厄難、ならびに過酷にして耐えがたい抑圧と艱難辛苦とを終わら...

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イタリア戦争

イタリア戦争(イタリア語: Guerre d’Italia)は、ヨーロッパの強国がイタリアの支配権をめぐり争った50年以上(1494年〜1559年)にわたる戦争です。1494年の第一次イタリア戦争の勃発に始まり、1559年のカトー・カンブレジ条約の締結で終結しました。なおこの間ずっと戦い続けていたわけではなく、一時の休戦を挟み大きく第一期と第二期に分けられます。イタリア戦争第一期(1494〜151...

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ユグノー戦争

ユグノー戦争とは、1562年から1598年にかけて続いたバロア朝末期フランスにおける内乱です。8次という長期にわたり継続した、カトリック教会とユグノー(カルバン派)の対立から発展した宗教戦争ですが、反体制派が利害の一致からユグノーを支援するなど、戦いはしだいに政治抗争の色合いを帯びていきました。ユグノー戦争の開始宗教改革期のフランスでは、伝統的なカトリックと新教徒のプロテスタントが激しく対立してい...

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三十年戦争

三十年戦争は、1618〜1648年の30年にわたり、神聖ローマ帝国(ドイツ文化圏)を舞台に行われた「最後で最大」といわれる宗教戦争です。講和条約のウェストファリア条約により、15世紀末から始まっていた「主権国家体制への移行」がほぼ完了したという点で、ヨーロッパ史上でも非常に重要な意味を持つ戦争になりました。三十年戦争の特色この戦争は、きっかけこそ神聖ローマ帝国領内の宗教紛争でしたが、外国の介入もあ...

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フロンドの乱

フロイドの乱(1648〜1653年)とは、太陽王ルイ14世が幼少の頃に起こった、貴族と民衆による反王政運動です。ルイ14世の摂政・マゼランによる中央集権化政策への不満が高まる中、三十年戦争の軍費を賄うため増税を強行したことが直接のきっかけとなりました。反乱は新旧貴族が主導し、パリを中心に全国的に展開。一時的に共和政府を樹立するなど一定の成果を出しましたが、最終的には内部分裂で瓦解し、鎮圧されました...

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ネーデルラント継承戦争

ネーデルラント継承戦争は、1667〜1668年に行われた、フランス国王ルイ14世(在位:1643年〜1715年)によるネーデルラント侵略戦争です。1665年スペイン王フェリペ4世が死去すると、フランス王ルイ14世が、王妃マリー・テレーズがフェリペ4世の王女であることを根拠に、スペイン領南ネーデルラント(現ベルギー、ルクセンブルク)の領有を主張したことが発端となりました。フランスは1667年侵攻を開...

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第二次百年戦争

第二次百年戦争とは、1688〜1815年までのおよそ130年にわたり断続的に継続したイギリスとフランスの戦争です。この130年間の間でファルツ戦争、スペイン継承戦争、オーストリア継承戦争、七年戦争、フランス革命戦争、ナポレオン戦争など数々の戦争が起こり、これらの戦争で両国が常に敵対していたことから、中世末期の百年戦争になぞらえこのように呼ばれているのです。その実は海外進出に力を入れていた英仏の植民...

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アメリカ独立戦争

アメリカ独立戦争は、1775年から83年にかけて、イギリスと、イギリスからの独立を目指すアメリカ13植民地の間で行われた戦争です。最終的に植民地軍が勝利し、1783年にはパリ条約で正式にアメリカ合衆国の建国が承認されました。なおこの戦争は、イギリスに敵対するヨーロッパ国が独立勢力を支援する形で介入したため「ヨーロッパ勢力の国際戦」としての性格も孕んでいます。アメリカ独立戦争の開始課税強化法案きっか...

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フランス革命戦争

フランス革命戦争は、1792年から1799年にかけてフランスとヨーロッパ諸国の間で行なわれた戦争です。フランス国内の革命勢力と反革命勢力の内乱から、革命の影響が自国におよぶことを恐れた絶対王政諸国の介入で、ヨーロッパ全土を巻き込む戦争に発展しました。フランス革命戦争の結果1992年、フランス革命の結果成立したフランス革命政府が、国内に干渉するハプスブルク帝国(オーストリア)に宣戦布告したことで戦争...

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ナポレオン戦争

ナポレオン戦争は、1796年から1815年にかけて、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍と絶対王政諸国による対仏大同盟軍の間で繰り広げられた戦争です。この戦争は革命家ナポレオンによるヨーロッパ征服戦争であり、その襲来を受け神聖ローマ帝国やヴェネツィア共和国といった中世来の強国が崩壊に追い込まれています。ナポレオンは一時、大陸ヨーロッパ全土を支配下に置くほどの勢いを持っていましたが、1812年ロシ...

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イタリア統一(独立)戦争

イタリア統一戦争(イタリア独立戦争)は、サルデーニャ王国率いるイタリア諸国の連合が、イタリアの独立と統一を求め、3次にわたりオーストリアと争った戦争です。この戦争にサルデーニャが勝利した結果、中世以来小国分立状態にあったイタリアが、イタリア王国(のちの共和国)という政治共同体として1つにまとまることができたのです。第一次独立戦争時期:1848〜49年第一次独立戦争は、サルデーニャ王国の敗北という結...

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メキシコ出兵

メキシコ出兵、とは、1862〜66年にかけて行なわれた第二帝政フランスのメキシコ侵略戦争です。フランスのメキシコに対する内政干渉が発端であり、ナポレオン3世の遠征失敗・権威失墜の象徴的事件として語られています。メキシコ出兵の動機メキシコでは1855年の革命の結果自由主義者が政権をとり、国の財政難を解消すべく、聖職者の財産没収、対外債務の支払いを停止するといった改革を実行していました。しかし債権者の...

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エチオピア戦争

エチオピア戦争は、イタリアが、豊かな資源を持つエチオピア獲得のために開始した侵略戦争です。第一次は1889〜96年にかけて、第二次は1935〜41年に書けて行なわれ、前者は敗れましたが、後者では勝利し、エチオピアの併合に成功しています。ただし最終的には第二次大戦中、連合軍の反撃にあい奪回されました。エチオピア戦争の結果第一次エチオピア戦争1894年、エチオピアのウチアリ条約破棄を口実とした、イタリ...

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第一次世界大戦

大戦がもたらした最大の結果の一つはヨーロッパの衰退である。ヨーロッパは何世紀にもわたって世界の中心となり、諸国家の基礎のうえに成立してきた。大戦は真っ向から国家的観念と対立した。ヨーロッパ諸国は国家の名において死闘を繰り返し、終わってみれば道徳的にも物質的にも弱体化していた。以後、ヨーロッパが世界を支配するとはいえなくなった。ジャン=ジャック・ベッケール著『第一次世界大戦』p155より引用第一次世...

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イースター蜂起

イースター蜂起とは、第一次世界大戦中の1916年、アイルランドで発生したイギリスからの独立を目的とした武装蜂起です。20世紀を通して行われたアイルランド独立運動の端緒となりました。イースター蜂起の原因アイルランドは、1801年合同法でイギリスの一部になっていましたが、イギリスに搾取され続ける構造が固定化していたため、アイルランド国内では独立を求める民族主義運動が高まっていました。それを受けイギリス...

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アイルランド独立戦争

アイルランド独立戦争とは、第一次世界大戦後の1919年から21年にかけて、アイルランドが宗主国イギリスに対し、自治独立を目指して戦った戦争です。アイルランド義勇軍の粘り強いゲリラ戦の結果、イギリスから一定の譲歩を引き出すことに成功し、アイルランド自由国として制限付きの独立を勝ち取っています。独立戦争の原因イギリスは1801年、合同法により正式にアイルランドを併合しています。もともと事実上の植民地で...

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アイルランド内戦

アイルランド内戦とは、1922年、アイルランド自由国(アイルランド独立戦争を経て成立)において、イギリスからの完全独立や北アイルランド地域の統治といった諸問題を原因として起こった内戦です。最終的には、アイルランド独立戦争以上の犠牲者を出す結果となりました。アイルランド内戦の原因アイルランド独立戦争の講和条約、英愛条約の内容に基づき、アイルランド自由国が誕生しました。アイルランドは長年待ち望んだ自治...

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ロシア内戦

ロシア内戦とは、1917年ロシア革命後から1922年までの間に、旧ロシア帝国領内で起こったレーニン率いる社会主義勢力(赤軍)と反社会主義勢力(白軍)による内戦です。英仏が反革命派(白軍)を支援し、両国の要請を受け、日本とアメリカも軍事干渉を行うなど、外国の利害も絡んだ複雑かつ大規模な内戦となりました。最終的には白軍政権が崩壊したことで、ソビエト政権の一党独裁体制が完成しました。この内戦の結果、世界...

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シベリア出兵

シベリア出兵とは1918〜22年に行われた、イギリス・フランス・アメリカ・日本などによる、ロシア内戦への武力干渉です。ロシア革命によりロシアの政権を握った社会主義勢力を打倒するべく、1918年3月英仏軍がムルマンスクに上陸を開始。アメリカ軍・日本軍も英仏の要請を受け、8月シベリアに共同派兵を開始しました。シベリア出兵の結果この出兵の名目上の理由は、「シベリアに抑留されたチェコ兵捕虜の救出」でしたが...

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スペイン内戦

スペイン内戦は、1936から39年にかけ、第二共和政期スペインで起こった内戦です。ドイツ・イタリアは軍部・右翼勢力に、ソ連は人民戦線に軍事援助を行い、各国自前兵器の試験場としても利用したので、この内戦は第二次世界大戦の前哨戦としての性格も孕んでいます。スペイン内戦の前史スペインでは第二共和政成立(1931年)以来、激しい政治的対立が続いていました。そんな中で人民戦線政府が成立(1936年)すると、...

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第二次世界大戦

第二次世界大戦は、1939年9月から1945年8月にかけての6年間、連合国(イギリス・アメリカ・フランス・ソ連・中国)と枢軸国(日本・ドイツ・イタリア)で争われた戦争です。第一次大戦に続きヨーロッパが主戦場ですが、日本がヨーロッパの植民地利権を攻撃したことで、戦線がアジア・太平洋にまで拡大し、全世界を巻き込む人類史上最大の国際戦となりました。第二次世界大戦の前史第二次世界大戦前夜のヨーロッパには、...

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ホロコースト

ホロコーストとは、第二次世界大戦中(1939〜1945年)に行われた、ナチスによる、主にユダヤ人を対象とした絶滅政策、組織的なジェノサイド(集団殺害)のことです。ヨーロッパの長い歴史の中で、「虐殺」と称される事件は多々ありますが、ホロコーストはその中でも最も特異かつ大規模(推定500万〜600万人が犠牲)、残虐無慈悲な出来事として記憶されています。ホロコーストの語源「ホロコースト」は、今でこそ「ユ...

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北アイルランド紛争

北アイルランド紛争とは、北アイルランドにおける現地民とイングランドやスコットランドから来た入植者たちが対立して起こった一連の事件です。紛争の原因北アイルランド紛争の主な原因は宗教対立です。アイルランドは元々カトリック教の国ですが、イギリスとの繋がりが強い北アイルランドは、イングランドやスコットランドから来たプロテスタントの入植者が多く住む地域でした。そのためプロテスタント入植者を中心とする北アイル...

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ユーゴスラビア紛争

ユーゴスラビア紛争は、1991年から2001年にかけてユーゴスラビア連邦解体の過程で起こった民族紛争のことです。この紛争の中で、連邦の構成共和国は次々と独立を遂げていき、現在のバルカン半島諸国の国境が確定しました。冷戦終結後最大の民族紛争となり、軍事介入の中で民族浄化・ジェノサイドと呼ぶべき戦争犯罪も多々発生しました。そういったこともあり、クロアチアとボスニアはこの内戦を「内戦」というより、ユーゴ...

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