東欧(東ヨーロッパ)というのは、ざっくりいえば「ヨーロッパの東部に位置する国々」のことです。しかし、厳密な「東欧」解釈は組織によって微妙に異なり、例えば日本外務省は、国連が西アジア、もしくは中東として扱っている10か国も「東欧諸国」としているなど、ハッキリと「ここからここまで、どこどこの国が東欧!」と言えない部分もあります。
(上記諸国+)アゼルバイシャン/アルメニア/ウズベキスタン/カザフスタン/キルギス/キプロス/コソボ/ジョージア/タジキスタン/トルクメニスタン
東欧の気候は地域によってかなり異なりますが、いくつかの一般的な特徴があります。
東欧の多くの地域は大陸性気候の影響を受けており、これは一般に、夏は暑く乾燥し、冬は寒く雪が多いことを意味します。特に内陸部では気温の年間変動が大きく、極端な気温(非常に高い夏や厳しい冬)が特徴です。
バルト海や黒海に近い地域では、海洋性気候の影響を受けることがあります。これは、比較的穏やかな冬と涼しい夏に特徴付けられます。
カルパティア山脈やバルカン半島などの山岳地帯では、山岳気候の特徴が見られます。これは低温で降水量が多く、高地では特に雪が多くなる傾向があります。
東欧の一部、特にウクライナ東部や南ロシアでは、ステップ気候の特徴が見られます。これは乾燥した夏と寒い冬が特徴で、草原が広がっています。
これらの気候的特徴は、地理的位置、海洋や山脈の近接性、および高度などの要因によって異なります。東欧は広大な地域にわたるため、その気候は非常に多様です。
ロシアの西部を南北に走る、ユーラシア大陸をアジアとヨーロッパに分ける境界線とされている山脈です。石炭紀後期(3億5920万年前から2億9900万年前)にできた古期造山帯であり、現存する山脈では最古のものです。
コーカサス山脈は黒海とカスピ海の間を東西に走る、こちらもヨーロッパとアジアの境界とされる山脈です。ロシア、ジョージア、アゼルバイジャン、アルメニアの国土に面しています。
東欧のスロバキア、ポーランド、ウクライナ、ルーマニアなどにまたがる山脈です。第一次世界大戦時には、ロシアへの侵攻のためドイツ軍とオーストリア軍が、この山脈の冬の山越えを試みたところ、80万もの犠牲者を出してしまったという悲惨な話があります。
ヨーロッパで2番目に長いこの河川は、オーストリア、スロバキア、ハンガリー、クロアチア、セルビア、ルーマニア、ブルガリア、モルドバ、ウクライナを流れます。古代ローマ帝国時代には、ドナウ川は帝国の北の国境として機能し、多くの歴史的要塞や都市が河畔に築かれました。中世を通じて、ドナウ川は東西の貿易路として重要な役割を果たし、多くの文化や商業の交流が行われました。
ベラルーシからウクライナを通り黒海に流れるこの河川は、ウクライナの歴史と密接に結びついています。ドニエプル川沿いには、キエフ・ルーシ時代の要塞都市キエフが建設され、スラブ人の初期国家形成に重要な役割を果たしました。この河川はまた、ウクライナの経済発展にも大きく貢献しており、農業、工業、貿易の中心として機能しています。
ウクライナとモルドバの国境を形成するこの河川は、地域の政治的および文化的な歴史に影響を与えてきました。古くは、この地域はダキア人や後にはローマ帝国の一部として重要な地位を占めていました。現代では、この河川はウクライナとモルドバの自然な境界として機能し、地域の生態系保護にも重要な役割を果たしています。
ポーランドを流れる最長の河川で、ポーランドの歴史、特に首都ワルシャワの発展に大きく寄与しています。中世から現代にかけて、ヴィスワ川はポーランド王国の政治的および経済的な中心地としての発展に不可欠でした。また、ヴィスワ川は文化的な重要性も持ち、多くのポーランドの伝統や民話にその名が登場します。
ウクライナ、ルーマニア、ハンガリー、セルビアを流れるティサ川は、これらの国々の歴史に影響を与えてきました。特にハンガリーにおいては、国内を流れる主要な河川の一つとして、農業、交通、文化の面で重要な役割を果たしています。歴史的にも、ティサ川沿岸はさまざまな民族や文化が交差する地点となっており、地域の多様性と融合の象徴となっています。
言語 | 語派 | 主に話されている国 |
---|---|---|
ロシア語 | スラブ語派 | ロシア、ベラルーシ |
ウクライナ語 | スラブ語派 | ウクライナ |
ポーランド語 | スラブ語派 | ポーランド |
チェコ語 | スラブ語派 | チェコ共和国 |
スロバキア語 | スラブ語派 | スロバキア |
ブルガリア語 | スラブ語派 | ブルガリア |
セルビア語 | スラブ語派 | セルビア |
クロアチア語 | スラブ語派 | クロアチア |
ボスニア語 | スラブ語派 | ボスニア・ヘルツェゴビナ |
モンテネグロ語 | スラブ語派 | モンテネグロ |
リトアニア語 | バルト語派 | リトアニア |
ラトビア語 | バルト語派 | ラトビア |
ハンガリー語 | フィノ・ウゴル語派 | ハンガリー |
ルーマニア語 | ロマンス語派 | ルーマニア、モルドバ |
アルバニア語 | インド・ヨーロッパ語族 | アルバニア、コソボ |
ギリシャ語 | インド・ヨーロッパ語族 | ギリシャ |
ヨーロッパの言語はインド・ヨーロッパ語族と呼ばれる言語系統が主流です。しかし同じ言語系統でも、イギリスやフランス、ドイツ、スペインなど北西ヨーロッパではインドヨーロッパ語族ゲルマン語派もしくはイタリック語派の言語が主流なのに対し、ロシア、ウクライナ、スロベキア、ベラルーシ、ブルガリア、ポーランドなど東欧諸国ではインドヨーロッパ語族スラブ語派が主流です。またウラル語族が主流ののハンガリーのように、インドヨーロッパ語族ではない国もあります。
ヨーロッパの宗教的景観は、その多様な歴史と文化に深く根ざしています。特にキリスト教はヨーロッパの信仰と文化において中心的な役割を果たしており、その中でもカトリック、プロテスタント、そして正教会という主要な宗派に分かれています。
そして東ヨーロッパでは、特に正教会が広く信仰されています。この宗派は東ローマ帝国時代に起源を持ち、ビザンティン帝国を通じて東ヨーロッパに広まりました。正教会は、ギリシャ、ロシア、セルビア、ブルガリア、ルーマニアなどの国々で主要な宗教となっています。これらの国々では、正教会は国民の文化的アイデンティティや伝統に深く結びついており、多くの祝祭日や伝統行事が教会の暦に沿って行われています。
一方、日本外務省が東欧として扱っている国々の中には、イスラム教が多数派を占める国も存在します。特にボスニア・ヘルツェゴビナやアルバニアはその典型例です。ボスニア・ヘルツェゴビナでは、多民族国家の一部としてイスラム教徒(ボシュニャク)が大きな割合を占めています。アルバニアでは、イスラム教は国の主要な宗教であり、同国の文化や社会に重要な影響を与えています。
世紀 | 主要な出来事 | 解説 |
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1世紀〜5世紀 | 古代ローマ時代の影響、ゲルマン民族の移動 | この時代の初め、東欧はローマ帝国の影響下にありました。5世紀にはゲルマン民族の大移動が起こり、東欧の社会構造に大きな変化をもたらしました。 |
6世紀〜10世紀 | スラブ人の拡大、ビザンティン帝国の影響 | 6世紀からスラブ人が東欧に広がり、ビザンティン帝国の影響が特にバルカン半島で顕著になりました。スラブ文化が花開き、キリスト教の普及が進みました。 |
11世紀〜15世紀 | 中世国家の形成、モンゴルの侵入 | ポーランド、ハンガリー、リトアニアなどの中世国家が成立しました。13世紀には、モンゴル帝国の侵入が東欧に大きな影響を与え、一時的な支配を行いました。 |
16世紀〜18世紀 | オスマン帝国の進出、ポーランド・リトアニア共和国の形成 | オスマン帝国がバルカン半島に進出し、東欧の政治地図を再編成しました。ポーランド・リトアニア共和国が一時期ヨーロッパ最大の国家となりました。 |
19世紀 | ナショナリズムの台頭、オーストリア=ハンガリー帝国の影響 | 19世紀には、ナショナリズムの台頭と産業革命が東欧の国々に大きな変化をもたらしました。オーストリア=ハンガリー帝国が東欧の多くの地域に影響を及ぼしました。 |
20世紀 | 第一次世界大戦と第二次世界大戦、冷戦時代、ソビエト連邦の影響下、1990年代以降の変革 | 両大戦は東欧の歴史において極めて重要で、多くの国境変更と政治的変化をもたらしました。冷戦の終結とソビエト連邦の崩壊は、東欧諸国に民主化と市場経済への移行をもたらしました。 |
以上東欧の特徴を、地理、歴史、宗教、自然、気候、言語などの観点から解説させていただきました。
地理的には、バルト海から黒海、カルパティア山脈からバルカン半島に至るまで広がる多様な地形を持ち、歴史的には、古代ローマの影響からソビエト連邦の崩壊まで、激動の変遷を経験してきました。
宗教面では、正教会が強い影響力を持ちつつ、カトリックやイスラム教の存在も見られ、言語に関しては、スラブ語派が主流である一方で、バルト語派やフィノ・ウゴル語派など多様な言語が存在しています。
大陸性気候の影響を受け、寒冷な冬と暖かい夏という気候のもと、広大な森林、河川、そして多様な動植物など豊かな自然が広がっています。これらの要素が組み合わさり、東欧はその独自の文化とアイデンティティを形成しているのです。
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