エリザベス1世(1533年 - 1603年)はイングランド・テューダー朝第5代にして最後の国王で、イングランド黄金期「エリザベス朝」を創出した人物として知られます。通称は生涯誰とも子供を作らなかったことから「ザ・ヴァージン・クイーン」。そんなエリザベスはヘンリー8世の子として生まれ、姉メアリーの没後25歳で即位。「国王至上法」と「礼拝統一法」を発布してイングランド国教会を確立し、旧教徒は弾圧することで、今日に続くイングランドのプロテスタント優位を確定させました。さらにオランダの独立を援助しスペインを弱体化、1588年には同国の「無敵艦隊」を撃破したことで一躍名声を高め、絶対王政の基盤を固めたのです。彼女の治世で、もとは弱小国に過ぎなかったイギリスが、世界に覇を轟かせる大英帝国へと変貌を遂げたといえます。
メアリ1世の治世で廃されていた国王至上法を発令し、国王をイングランドの「唯一最高の首長」から「唯一最高の統治者」に変更しました。さらに統一法によりプロテスタントの礼拝形式を規定したことで、イギリス宗教改革を完成させました。
1588年、オランダ独立戦争への軍事援助を行うイギリスと、それを阻止したいスペインとの海戦が行われました(アルマダの海戦)。そしてエリザベス1世のイギリス海軍は、当時無敵・最強とうたわれたスペインの無敵艦隊を破り、イギリスは一躍ヨーロッパの強国の座に躍り出たのです。
ヨーロッパ辺境の小国に過ぎなかったイギリスが、世界に覇を唱える超大国として名乗りを上げるきっかけを作ったのが、スペイン無敵艦隊の撃破などの業績で知られるエリザベス1世です。
近世ヨーロッパの強国といえば長らく、大航海時代の先駆けをなしたスペインでした。アジア〜太平洋に広大な海外領土を有し、新大陸から収奪した莫大な富で「太陽の沈まぬ国」と称されるほどの繁栄を謳歌したのです。
しかしそれに終止符を打ったのがイギリスの海賊支援です。エリザベスは国策としてドレークなどの海賊を支援し、いわゆる私掠船に新大陸から帰還するスペインの貿易船を襲わせて、富を強奪するようになるのです。
イギリスが強奪した富はドレークによるものだけでも60万ポンドという莫大な額に及び、アルマダの開戦というのは、それに耐えかねたスペインがイギリスに戦いを挑むも、返り討ちにされてしまった、というスペインにとって少し可哀想な戦いなのです。
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