



ヨーロッパの城と日本の城。どちらも、為政者や軍の指揮官が拠点とした場所であり、政治や情報が集まる権力の中枢だった点は共通しています。
ただし、その役割をもう一歩踏み込んで見ると、軍事的な機能の性格には、はっきりとした違いがあるんです。
同じ「城」という言葉でも、想定している戦い方や敵の姿が違えば、求められる機能も変わる。
石造りで長期籠城を前提としたヨーロッパの城と、地形を活かし機動力を重視した日本の城。その違いは、構造や配置、使われ方に色濃く表れています。
城は単なる建物ではなく、その社会が想定した戦争のかたちを映す存在。
ここでは、ヨーロッパの城と日本の城を比べながら、両者の軍事的機能がどのように異なっていたのかを、簡潔に解説していきます。
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厚い城壁で囲まれたカルカソンヌ城塞(フランス)
フランス南部に位置し、二重の城壁と多数の塔を備えた中世要塞で、現在も保存状態が良い。
出典:Kups(著作権者)/ Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported(画像利用ライセンス) / title『The_Carcassonne_Fortress』より
ヨーロッパにおける「城」とは、単なる為政者の居館ではありません。交通・軍事・通商の要衝に築かれた、防衛拠点そのものであり、同時に人びとの生活空間でもありました。
城=城壁都市という発想が基本にあり、外部からの侵入、つまり攻城戦を常に想定した構造になっています。
ヨーロッパの城は、天守や中核施設の周囲を、巨大で堅牢な城壁が取り囲む形で発展していきました。城壁は土や石を何層にも重ねて築かれ、一定間隔で監視と攻撃を兼ねた塔が配置されます。
防御と反撃を同時に行うことを前提とした、まさに攻防一体の軍事構造でした。
城壁の内側には、兵士だけでなく、多くの一般市民が暮らしていました。住居や市場、教会、倉庫などが集まり、城壁都市そのものが生活の基盤だったのです。
だからこそ、城壁が破られるということは、単なる軍事的敗北ではありません。
城壁の崩壊は、都市の生活・財産・命そのものが失われることを意味していました。
略奪、奴隷化、殺害──そうした現実がすぐ目の前にあったからこそ、人びとは必死に城を守り、城は極限まで防御力を高めていったのです。
ヨーロッパの城は、支配の象徴であると同時に、「生き残るための最後の砦」でもありました。

1280年頃に描かれたアッコ包囲戦の様子
ヨーロッパ史に名を残す攻城戦の代表例として挙げられるのが、1191年のアッコ包囲戦です。第三回十字軍のさなか、リチャード1世率いる十字軍は、地中海東岸の要衝アッコ(アクレ)を攻略するため、およそ2年にも及ぶ包囲戦を続けました。
長期間にわたって持ちこたえた都市防衛力は、当時のヨーロッパ型城郭が、単なる拠点ではなく「耐久戦」を前提とした構造であったことをよく示しています。
1415年のアジャンクールの戦いは、包囲戦そのものではありませんが、城と戦争の関係を語るうえで重要な転換点です。イングランド王ヘンリー5世率いる軍が、数で勝るフランス軍を破り、長弓兵の圧倒的な有効性を証明しました。
この戦い以降、城郭都市の防御思想や攻城戦術にも変化が生じ、防御一辺倒だった城のあり方が見直されていくことになります。
さらに時代が下り、1683年のウィーン包囲戦では、オスマン帝国軍と神聖ローマ帝国軍が激突しました。この戦いは、単なる一都市の攻防にとどまらず、ヨーロッパ全体の勢力均衡を左右する決定的な局面となります。
ウィーンという城塞都市が持ちこたえたことは、ヨーロッパ側にとって極めて大きな意味を持ちました。
これらの攻城戦は、ヨーロッパの城が「戦争の主役」として設計されていたことを如実に物語っています。
城はただ守るための建物ではなく、歴史の流れそのものを左右する、極めて重要な軍事装置だったのです。
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層塔風の天守がそびえる姫路城
木造の骨組みに白い漆喰壁と瓦屋根を重ねた構成。
石造主体のヨーロッパ城とは造りからして異なる。
出典:『Himeji Wikipedia 2 ( NUB1975)』-Photo by Niko Kitsakis/Wikimedia Commons CC BY-SA 4.0
一方で、日本の城はヨーロッパの城とは、そもそも想定している戦い方が違っていました。日本の戦は野戦が中心で、城はあくまで拠点や象徴的な存在。長期間の攻城戦を前提とした、防御一点張りの施設ではなかったのです。
物資の保管や武士が一時的に立てこもる場所ではあっても、積極的に籠城戦を展開するための装置ではありませんでした。
日本の合戦は、基本的に同じ民族・同じ社会の中で覇権を争うものでした。そのため、勝敗は戦場で決することが多く、城は戦争の「主役」ではありません。
どちらの勢力が勝っても、一般の人びとの生活は続いていく──この前提があったからこそ、城を何年も守り抜く必要性は低かったのです。
略奪や殺戮を行えば、為政者としての信用を失い、統治そのものが難しくなります。
日本の城は、市民を巻き込んだ防衛戦を想定するよりも、権力の所在を示す拠点としての意味合いが強かったと言えるでしょう。
日本でヨーロッパのような城塞都市が広く普及しなかった背景には、いくつかの理由があります。
ひとつは、国内の覇権争いが中心で、城壁都市そのものへの需要が小さかったこと。
もうひとつは、莫大な資源と人手を投じてまで城壁都市を築く条件が整っていなかった点です。
とくに日本では、広大な石造城壁を築くための良質な石材を、大量かつ安定して確保するのが地理的に難しかったと考えられます。
財力や人材があっても、土地条件がそれを許さなかったわけですね。
日本の城は「都市を守るための砦」ではなく、「戦国社会の中で機動的に使われる政治・軍事拠点」。
この違いを理解すると、日本の城がヨーロッパの城とはまったく異なる姿をしている理由も、自然と見えてくるはずです。
日本の歴史において、強烈な印象を残す攻城戦のひとつが、1577年の鳥取城の戦いです。
これは、織田信長の命を受けた羽柴秀吉が、毛利氏の重臣・吉川経家が籠もる鳥取城を攻めた戦いとして知られています。
この戦いで特筆すべきなのは、正面から城を力攻めするのではなく、徹底した兵糧攻めが選ばれた点です。
秀吉は周辺地域の米や食料を徹底的に押さえ、城内への補給路を断ち切りました。その結果、城兵だけでなく、城内に避難していた農民たちも、極限の飢餓状態に追い込まれていきます。
鳥取城の戦いは、日本の城が長期籠城に向いた施設ではなかったことを、もっとも残酷な形で示した事例と言えるでしょう。
城そのものの堅牢さよりも、周囲の制圧と補給の遮断が勝敗を分ける──この戦いは、日本の戦国時代における現実的な戦術観を如実に物語っています。
同時に、目的のためには非情な手段も辞さなかった、戦国武将たちの冷徹さを浮き彫りにした出来事として、今も語り継がれているのです。
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カーン城(フランス北西部の都市カーン)
堅牢な石壁と防御機構(バルバカン強化門、塔など)をもつ城塞で、百年戦争期の防衛拠点として重要な役割を果たした
出典:Urban / Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 / title『』 Unportedより
ここまで見てきた内容を踏まえると、ヨーロッパの城と日本の城は、同じ「城」という言葉で呼ばれていても、前提となる役割そのものが大きく異なっていたことが分かります。
城は、その社会が想定していた戦争と支配のかたちを、非常に正直に映し出す存在だったのです。
ヨーロッパの城は、交通・軍事・通商の要衝を押さえる防衛拠点としての役割を最優先していました。多民族からの侵攻や長期の包囲戦を想定し、厚い城壁と塔を備えた、徹底的に守るための構造が採用されています。
城を失うことは、そのまま都市と生活を失うことにつながるため、防御力は何よりも重要でした。
一方、日本の城は、軍事拠点であると同時に、権力と支配の象徴としての意味合いが非常に強い存在でした。
長期の攻城戦を耐え抜くよりも、為政者の威光を示し、周囲を統治するための拠点として機能することが重視されていたのです。
城は「守るための都市」ではなく、「支配を示す舞台」。
この発想の違いが、構造や規模、使われ方の差として表れていました。
この違いは、単なる建築技術の差ではありません。
多民族が入り乱れるヨーロッパと、同一民族同士で覇権を争った日本──それぞれの歴史的背景や社会構造の違いが、城の役割を決定づけていたのです。
ヨーロッパの城は外敵に備えるための要塞、日本の城は内側を統治するための象徴。
どちらが優れているという話ではなく、それぞれの社会にとって「必要だった姿」が違ったというだけのこと。
城を比べることで、その地域がどんな不安を抱え、何を守ろうとしていたのかが、自然と見えてくるのです。
ヨーロッパの城と日本の城の違いは、建築様式そのものよりも、それぞれの社会が想定していた戦争と支配のかたちの違いに根ざしています。 どんな敵と、どんな戦いを想定していたのか──その前提が、城の役割を大きく分けていったわけです。
ヨーロッパの城は、外部から侵攻してくる異民族との長期戦を前提に、都市と人びとの生活を丸ごと守る要塞として発達しました。城壁の内側には市民の暮らしがあり、城を失うことは生活そのものを失うことを意味していたのです。
一方、日本の城は、野戦を中心とする戦国社会の中で、権力の所在を示す拠点として機能してきました。 守り切る城というより、統治を円滑に進めるための政治的な中枢。その性格の違いが、構造や使われ方に表れています。
城の違いは、その社会が何を恐れ、何を守ろうとしてきたのかを映し出す鏡。
城を見比べることは、単なる建築比較ではありません。 その土地の歴史や人びとの不安、そして時代ごとの価値観を読み解くための、意外とわかりやすい手がかりにもなるのです。
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