ヨーロッパの城と日本の城の違いとは?

ヨーロッパと日本の「城」の違い

 

ヨーロッパの城と日本の城。どちらも為政者や軍の指揮官の根城であり、政治や情報の中心地であったという点は共通しています。しかし両者が持つ「軍事的機能」には性格の違いがあり、ここではその違いについて簡潔に解説していきます。

 

 

ヨーロッパのお城の特徴

ヨーロッパでいう城というのは、交通・軍事・通商上の重要防衛拠点として設けられた領域=自民族の生活拠点=城壁都市のことを指します。多民族が城壁都市内に攻め入る事(攻城戦)を想定した構造になっています。

 

天守の周りを堅固な土や石を固めて造った巨大な城壁が囲っており、城壁には一定間隔に攻撃と監視を目的とした塔が設けられ、攻防一体の軍事拠点として機能していました。

 

ヨーロッパのお城の構造上の特徴については【ヨーロッパの城の特徴】にて詳しく解説していますので、こちらも参考にしてください。

 

城壁都市では多数の一般市民が生活の基盤を築いています。城壁が他民族に破られるイコール、その基盤が崩れ、全ての財産を略奪され、奴隷にされたり、殺されたりすることを意味しますから、それはもう必死に防御を固めるわけです。

 

ヨーロッパの有名な攻城戦

ヨーロッパの歴史における有名な攻城戦の一例として、1191年のアッコ包囲戦があります。これは、第三回十字軍の際に起きた戦いで、リチャード1世率いる十字軍がアッコンを攻略するために約2年間にわたって戦い続けました。この戦いは、その長期間と激しさで知られており、ヨーロッパの城がどれほどの防御力を持っていたかを物語っています。

 

1280年頃に描かれたアッコ包囲戦の様子

 

また、1415年のアジャンクールの戦いでは、イングランド王ヘンリー5世がフランスを破り、長弓兵の優位性を示しました。この戦いは、城郭都市の攻防戦術に大きな影響を与え、ヨーロッパの軍事戦略を変えたとされています。

 

さらに、1683年のウィーン包囲戦では、オスマン帝国軍と神聖ローマ帝国軍が激突し、ヨーロッパの運命を大きく左右しました。これらの攻城戦は、ヨーロッパの城が持つ軍事的機能の重要性を示し、歴史に深い影響を与えています。

 

 

日本のお城の特徴

一方日本の城はどうかというと、日本での戦闘は野戦がメインで、攻城戦対策の優先順位は低く、ヨーロッパの城ほど頑強に造られていませんでした。物資の貯蔵や武士が一時的に篭城する目的では使われますが、積極的に篭城戦を展開するような場所ではなかったのです。

 

ヨーロッパの攻城戦は数年続くこともあり、日本の城はこのような長期の攻めには耐えられなかったし、そもそも備える必要もなかったでしょう。その他日本で城塞都市が普及しなかった理由としては、

 

  • 同国の覇権を巡る戦いが主流だった日本ではあまり需要がなかった。
  • 日本には城塞都市を築けるほどの資源がなかった。

 

などが挙げられます

 

日本の戦は同じ民族同士の覇権を巡る戦いで、いわば偉い人同士のいざこざです。2つの勢力のどちらが勝っても負けても、一般市民にとっては政権が変わるだけで、略奪の対象になったり、奴隷にされたりといったことはなかったのです。一般市民を対象に略奪や殺人など行なえば、為政者としての信用を失い、統治しづらくなるだけですからね。

 

また、そもそも城郭都市を築くには莫大な財力や人材、そして資源が必要です。日本では財力と人材が揃ったとしても、土地的に十分な城壁を築くほどの良質な石材の調達は難しかったでしょう。

 

日本の有名な攻城戦

日本の歴史において記憶に残る攻城戦の一つが、1577年に行われた鳥取城の戦いです。この戦いは織田信長の命を受けた羽柴秀吉が、毛利氏の重臣・吉川経家が立て籠もる鳥取城を攻めたもので、特にその兵糧攻めの凄惨さで知られています。

 

秀吉は、城内の食糧を尽きさせることで敵を降伏させる戦術を採用し、城兵と城内にいた農民らを極限の飢餓状態に追い込みました。

 

この戦いは、日本の戦国時代における戦術や戦略の進展を示す重要な事例であり、日本の城が持つ軍事的機能の限界と戦国時代の武将たちの冷酷な側面を浮き彫りにした出来事として、歴史にその名を刻んでいます。

 

まとめ

ヨーロッパと日本の城の違いを総括すると、ヨーロッパの城は交通・軍事・通商上の重要な防衛拠点としての機能を重視しており、多民族の侵攻に備えた堅固な構造を持っていました。一方、日本の城は主に政治的・象徴的な役割を果たしており、長期にわたる攻城戦に耐える必要性が低かったため、比較的軽量な構造でした。

 

日本の城は、戦国時代の武将たちの権力や地位の象徴としての意味合いが強く、実際の軍事的な機能よりも政治的な意味合いが大きかったのです。この違いは、それぞれの地域が抱える歴史的背景や社会構造、文化の違いから生まれたものであり、ヨーロッパと日本の城が持つ特性は、それぞれの地域の歴史と文化を反映しています。

 

ヨーロッパの城が多くの民族の侵攻に備えるための堅固な要塞であったのに対し、日本の城は内部の勢力争いに対応するための政治的シンボルであったと言えますね。