ヌマ・ポンピリウスとは何をした人?〜「ヌマ暦」を制定〜

1553年出版の図像学本に掲載されたヌマのイラスト

 

ヌマの基本情報

 

本名:ヌマ・ポンピリウス
在位:前715年 - 前673年
誕生:前753年
死没:前673年
民族:ザビニ人
実績:ヌマ暦の制定/ヤヌス神殿の建設/神官団・巫女団・最高官の創設

 

ヌマ・ポンピリウス(前753年 - 前673年)は王政ローマ期の第2代王で、ローマの様々な宗教儀式を確立し、1年を12か月とする「ヌマ暦」を制定した人物として有名です。サビニ人。ローマ建国日に生まれたとされ、その治世では暦の改定の他にも、ヤヌス神殿の建設、神官団・巫女団・最高官の創設など多くの業績を残しています。なお神話的要素の強い初代王ロムルスと異なり、(業績の手柄が彼一人のものなのかは疑問視されているものの)ヌマの実在性はそれなりに高いと考えられています。

 

 

ヌマ・ポンピリウスの功績

ヌマ暦の制定

ヌマ・ポンピリウスの功績として最も有名なのはやはりヌマ暦の制定でしょう。それまで使われていたローマ暦は、1年が10か月という不正確なものでしたが、ヌマはこれに2か月を追加して正確な暦にしたのです。さらに祭典日や仕事日を定めています。

 

部族融和

ヌマはローマ内部にあった部族同士の対立を沈めるために、農民を「パギ」と呼ばれる小集団に分割しました。つまり部族よりも重要な共同体を作ることで、部族対立を消滅させたのです。

 

宣戦布告権限の制限

ヌマは極力平和外交路線を志向していました。そのため宣戦布告の権限を「伝令僧」と呼ばれる祭司職のみに限定し、極力戦争が起こらないようにしていました。

 

ヤヌス神殿の建設

ヌマは始まりと終わりの神ヤヌスを祭るヤヌス神殿を建設した功績でも知られます。ここには最高神ユピテルの神官団や、ウェスタ女神の巫女団を配置していました。またこの神殿は戦争の時に開かれ、平和の時は閉じられる決まりになっており、ヌマの治世では常に閉じられたままだったといいます。