「七月革命」は1830年に起こった市民革命で、1815年に王政復古で返り咲いたブルボン王朝を、再び崩壊させたものです。シャルル10世の反動政治への抵抗として開始され、「光栄の3日間」を経て、七月王政が開始されました。
ただ七月革命により市民主導の共和政が確立される期待されましたが、王党派により共和派は抑えつけられ、新たに即位したルイ=フィリップのもと進められたのは、一部の特権階級を優遇するブルジョア政治でした。
七月革命における市街戦の様子
選挙権を持つのは、200フラン以上の税金を納められる、全人口の1%にも満たない裕福な者だけだったのです。そんな状況に不満を持つ中小資本家や労働者が中心となり、選挙権拡大を求める改革要求が高まっていきました。
そして1845年から47年にかけての経済危機により社会不安がピークに達すると、1848年2月にいわゆる「二月革命」が勃発し、ルイ=フィリップは退位・亡命に追い込まれます。王政は崩壊し、新たに成立した臨時共和政府のもと、フランス革命以来の共和制(第二共和制)が開始されたのです。
二月革命の影響はヨーロッパ各地に伝わり、民族主義・自由主義の高揚を引き起こします。そして1848年革命(諸国民の春)を誘発し、保守反動的なヨーロッパの国際秩序ウィーン体制の崩壊へと繋がっていきました。
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