奴隷貿易とは、奴隷の売買を行う交易のことです。ヨーロッパにおいて、奴隷の売買自体は古代ローマ時代から行われていたものの、大航海時代以降のそれは、16世紀から19世紀にかけて、新大陸の植民地化の進行にともない開始され、
などの特徴があります。
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もともと植民地では奴隷ではなく先住民のインディアンを使役していましたが、ヨーロッパ人が持ち込んだ疫病や過酷な労働により先住民の数が激減しました。労働力不足を補うためにアフリカで調達した黒人奴隷を利用するようになったのです。
奴隷貿易が本格化したのは、16世紀に入り奴隷制砂糖プランテーションが登場してからです。
まず大航海時代の先駆けとなったポルトガルが参入し、同国はアフリカ西岸に奴隷の集積地を確保していました。ポルトガルはアフリカの奴隷をブラジルの砂糖プランテーションに送り込み、莫大な利益を得ました。次いでオランダ、イギリスが参入しました。
特にイギリスは本国・アフリカ・西インドを結ぶ三角貿易で得た莫大な利益を元手に、産業革命を起こし、「パックス・ブリタニカ(イギリスによる平和)」を体現しました。イギリスはアフリカからの奴隷をカリブ海のプランテーションで働かせ、その産品をヨーロッパで売ることで経済力を強化しました。このような三角貿易のシステムは、ヨーロッパ諸国の経済発展に大きく寄与しました。
奴隷貿易は、アフリカ社会に壊滅的な影響を与えました。多くの若年男性が強制的に連れ去られたことで、アフリカの社会構造は崩壊し、経済も衰退しました。また、奴隷貿易によってアフリカ内の戦争や紛争が増加し、地域の不安定化が進みました。
一方、アメリカ大陸では奴隷労働力によって農業や鉱業が発展し、ヨーロッパ諸国は莫大な利益を上げました。しかし、この発展は奴隷労働に基づいており、多くの人々が非人道的な状況に置かれました。奴隷貿易による苦しみは、アフリカ系アメリカ人の歴史に深い傷跡を残し、現在でもその影響が続いています。
アフリカから海を超え送られた奴隷は16世紀からの300年間で5000万人にのぼるといわれますが、奴隷船の環境は劣悪であり、航海中に20%の奴隷が死亡したといわれています。
奴隷貿易にはこういった人道上の問題があったことから、市民革命の世紀である19世紀には奴隷廃止運動が活発化し、イギリスは1833年、フランスは1848年、アメリカは1865年に奴隷貿易を禁止しています。
19世紀には奴隷貿易廃止の動きが広がり、アメリカ合衆国では南北戦争を経て1865年に奴隷制が廃止されました。また、イギリスやフランスでも市民の強い反発と人道的な視点から奴隷貿易廃止運動が高まり、奴隷貿易が違法化されました。このような動きは、奴隷制を否定する世界的な流れを形成し、現在に至るまで続く人権擁護の基盤となっています。
奴隷貿易は、経済的利益を追求する一方で、多くの人々にとって苦しみと悲劇をもたらした歴史の一部です。この歴史を学び、反省することは、人類が過去の過ちから学び、より公正で平和な世界を築くために重要です。奴隷貿易の影響は現在も続いており、その歴史を理解することは、現在の社会問題を解決する手助けにもなるでしょう。
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