レオニダス1世とは何をした人?〜捨て身でギリシアを守ったスパルタ王〜

 

レオニダス1世の基本情報

 

王朝:アギス朝
誕生:前540年スパルタにて
死没:前480年テルモピュライの戦いにて
功績:ペルシアの大軍勢相手に300人で奮闘し、ギリシア連合軍による反撃の機会を作る。

 

レオニダス1世(?〜前480年)は古代ギリシアスパルタの王で、ギリシアに襲来する20万ものペルシア軍勢に、たった300人の精鋭で立ち向かい、敵に莫大な損害を与えたうえで、300の兵とともに壮絶な戦死を遂げた人物として知られます。その英雄的な最期はギリシア中に轟き、ギリシア人の闘争心を奮い立たせたほか、アテナイはこの奮闘のおかげで艦隊を組織する余裕ができ、サラミスの海戦でペルシアの大艦隊を打ち破ることができました。そのためレオニダスは全ギリシアを代表する英雄でもあり、現代にいたるまでヨーロッパの「武人の鑑」として讃えられているのです。

 

レオニダス1世の最後

ペルシア軍侵攻の報を受けると、スパルタ軍、テスピアイ軍、テーバイ軍を率いテルモピュライに陣を張り、左右を崖に囲まれている狭い地形という地の利を生かして、圧倒的な戦力の差があるにも関わらず奮闘しました。ペルシアのあまりの軍勢に耐えかねてギリシア連合軍の大半が撤退しても、レオニダスとスパルタ軍は「決して撤退せぬ」という掟を守り戦場に残り戦ったといいます。

 

最後は遠距離から矢の雨を降らされてスパルタ軍は全滅。レオニダスも戦死し、クセルクセスは部下にレオニダスの首を跳ねるように命じ、晒し首にしました。

 

逸話として、前480年のテルモピュライの戦いに行く直前、自身の運命を察していたのか、妻に「よき夫と結婚し、よき子供を生め」と言い残したといいます。