エチオピアとリベリアが「アフリカ分割」の対象外だったのはなぜか

19世紀末の「アフリカ分割」は、ヨーロッパ列強によるアフリカ大陸の領有競争が高まる中で生じました。その結果、アフリカのほとんど全てがヨーロッパ列強によって占領され、植民地化されました。しかし、この過程で2つの国、エチオピアとリベリアは他のアフリカ諸国とは違い、ヨーロッパの支配から免れることができました。それはなぜだったのでしょうか。

 

 

 

 

エチオピアの独立性

エチオピアがアフリカ分割から逃れた理由の一つは、その歴史的な独立性です。オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世のように、エチオピアの君主もまた長い歴史と確固たる権威を背景に独立を維持することができました。さらに、1896年のアドワの戦いでイタリア軍を撃退した結果、エチオピアはヨーロッパ列強からの尊重を勝ち取り、その独立性が国際的に認められました。

 

リベリアの特殊な地位

一方、リベリアの場合は、その成り立ちが大きな役割を果たしました。リベリアはアメリカの解放奴隷が設立した国家で、その存在はアメリカによって保護されていました。このため、ヨーロッパ列強による植民地化の危機から逃れることができました。

 

エチオピアとリベリアがアフリカ分割から免れたのは、それぞれの独特な歴史的経緯と外交的な地位によるところが大きいです。エチオピアは強力な君主制と軍事的な成功によって、リベリアはアメリカによる保護という特殊な地位によって、ヨーロッパ列強の植民地支配を避けることができました。これらの例外は、アフリカ分割の歴史の中でユニークな存在であり、それぞれの国が自身の道を切り開くことが可能だったことを示しています。