イタリアの植民地が少ない理由とは?

 

イタリアは小国分立時代が非常に長く、「イタリア」という国家として政治的統一を果たしたのは1861年とわりと最近のこと。そのため早くに絶対王政を確立し、海外進出を始めていた西欧列強と比べ、植民地獲得競争という面では遅れを取っていました。

 

 

イタリアの植民地政策の開始

1861年、サルデーニャ王国主導でイタリアの政治的統一が達成され、現イタリア共和国のイタリアの前身となるイタリア王国が成立。その後1882年、イタリアの海運会社が、石炭基地設立の為に紅海のアッサブ湾を購入しており、これがイタリア初の海外領土とされています。

 

またイタリア王国は、ヨーロッパ列強がこぞってアフリカに進出(アフリカ分割)したのに呼応し、エリトリア戦争、エチオピア戦争、伊土戦争などのアフリカ侵略戦争を展開しています。

 

イタリア領東アフリカの形成

アフリカへの侵略戦争の結果、イタリア王国はエリトリア、ソマリア、リビア、トリポリタニアなどを獲得し、「イタリア領東アフリカ」を形成。アフリカ以外でもトルコ沖ドデカネス初頭、清王朝の天津租界などを獲得し、イタリア植民地帝国を築き上げました。

 

しかし皮肉なことに、イタリアが植民地獲得に動き出した時代には、すでに植民地経営で儲かる時代は終わっていました。「国威発揚」と「列強国としての地位確立」が主目的になっており、植民地経営そのものは赤字続き、というのが実態でした。

 

イタリアの植民地政策の終焉

第一次大戦後ファシスト国家となったイタリアは対外侵略の姿勢をさらに強めていきました。第二次世界大戦では枢軸国勢力として参戦し、イギリス領ソマリランド、フランス南部、エジプト王国西部、ギリシャ王国の大部分など、さらに多くの植民地を獲得しています。

 

しかしこれらの獲得領土は、戦況の悪化とともに連合軍に奪回されていき、戦後の対伊講和条約で全ての植民地の主権を放棄させられました。また1960年には、唯一の海外植民地だった東アフリカの領域が、ソマリア連邦共和国として独立したため、これをもってイタリアも持っていた植民地は全て消滅しました。