パウルス3世とは何をした人?〜ヘンリー8世を破門〜

 

パウルス3世の基本情報

 

本名:アレッサンドロ・ファルネーゼ
誕生:1468年カニーノ
死没:1549年ローマ
在位:1534年 - 1549年
政策:イングランド王ヘンリー8世を破門/イエズス会を認可/トリトエント公会議の召集/対抗宗教改革/学術・芸術の保護

 

パウルス3世(1468年 - 1549年)はトスカーナ出身の最後のルネサンス教皇です。フィレンツェ黄金時代を築いたロレンツォ・デ・メディチの教育を受けて育ち、枢機卿時代を経て、1543年教皇に選出されました。
その治世では、首長法でイングランド国教会の首長となることを宣言したイングランド王ヘンリー8世を破門したり、イエズス会を認可、トリトエント公会議を招集するなど教会改革(対抗宗教改革)を推進したことで有名です。その他では大学や図書館を整備し、ミケランジェロにはシスティ礼拝堂の壁画『最後の審判』を描かせるなど、学術や芸術の保護にも努めたことでも知られます。

 

パウルス3世とミケランジェロの『最後の審判』

ミケランジェロの『最後の審判』

 

パウルス3世は芸術愛好家で、ルネサンス芸術の保護者(「ルネサンス教皇の1人」)としての功績が認められています。とりわけミケランジェロを高く評価しており、1541年にはシスティナ礼拝堂の壁画『最後の審判』を描かせ、1546年にはサン・ピエトロ大聖堂大改修の大役を与えていました。