レオポルト1世
レオポルト1世の基本情報
渾名:「バロック大帝」
誕生:1640年オーストリア大公国、ウィーン
死没:1705年オーストリア大公国、ウィーン
在位:1658年 - 1705年
王朝:ハプスブルク朝
政策:ハンガリー、トランシルヴァニアの征服、文芸振興
レオポルト1世はハンガリー王、ボヘミア王も兼ねた神聖ローマ皇帝で、三十年戦争で疲弊した帝国復興につとめた人物として知られます。1658年、ウェストファリア講和後の混乱期に即位するも、オスマン帝国からハンガリー、トランシルヴァニアの支配権を奪取し、東方へ領土を広げることに成功します。さらに領土拡大に野心を燃やすルイ14世との戦いでも善戦し、勢力を維持することでハプスブルク帝国復興の道筋を敷いたのです。なおレオポルトは音楽の都ウィーン出身で、優れた作曲家でもあったことから「バロック大帝」とあだ名されていました。対外政策だけに囚われず、文芸振興にも積極的だったため、彼の治世でウィーンはヨーロッパにおける芸術・文化の一大拠点として、高い地位を確立するに至ったのです。
レオポルト1世の妻は、スペイン王フェリペ2世の娘マルガリータです。ハプスブルク家の婚姻政策の中で生まれた娘ですが、これといって近親婚の悪影響もみられず、父王から特に可愛がられて育ち、心身ともに健康であったといいます
レオポルト1世との結婚式ではオペラが上演されましたが、彼はそのために宮殿の横にわざわざ自分専用の劇場を建設しました。2人の婚姻は長く計画されていた政略結婚ではありますが、深い愛があったことを伺わせます。音楽という趣味も合い、夫婦円満な生活を送っていたようです。
なおレオポルト1世はマルガリータと結婚したことで、スペイン王位継承の有力候補となりましたが、フランス王ルイ14世も同じ権利を主張したことから、後にスペイン継承戦争に発展しています。
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