パーヴェル1世とは何をした人?〜反革命政策を推進〜

 

パーヴェル1世の基本情報

 

本名:パーヴェル・ペトロヴィチ
誕生:1754年サンクトペテルブルクにて
死没:1801年サンクトペテルブルクにて
王朝:ロマノフ朝
在位:1796年 - 1801年
政策:反革命政策

 

パーベル1世(1754年 - 1801年)はロシア皇帝で、啓蒙専制君主エカチェリーナ2世の長男です。フランス革命戦争中、母帝の崩御を受けて即位しました。治世では自由主義的改革を志向した母とは異なり、徹底的な反革命の反動政治を行ったことで知られます。一方で治世末期にはナポレオンに感銘を受けてフランスに接近、イギリスと敵対するなど、首尾一貫しない政治姿勢で国内を混乱させました。その結果彼に敵対する貴族の策謀により寝暗殺され、わずか5年という短い在位期間で生涯を終えたのです。

 

 

パーヴェル1世の政策

母の政策の逆張り

パーヴェル1世は皇太子時代から母エカチェリーナ2世と不仲であった為、母の死後帝位を継承すると、母の政策のひたすら逆をとる芯のない政治を行い、国内を混乱させました。また彼の治世はフランス革命期であったこともあり、革命の波及を恐れて、徹底的な保守反動政治を推し進めていました。これが貴族の反発を生み、暗殺されることとなってしまうのです。

 

第二次対仏大同盟に参加

フランス革命戦争中、パーヴェルが団長を努めるマルタ騎士団がフランスに攻撃されたことを口実に第二次対仏大同盟に参加し、フランスと敵対しました。ただその後ナポレオンがフランスの実権を握ると、彼に感銘を受けたパーヴェルは掌を返してイギリスに敵対しています。