フランス第二帝政の特徴

フランス第二帝政は1852年〜1870年、ナポレオン3世が皇帝だった時代を指します。資本家と労働者、失業者それぞれの対立を仲裁者のように振る舞い、君主が独裁的な権力を行使していたボナパルティズムが体現された時代でもあります。

 

 

第二帝政の成立

1848年、二月革命により成立した第二共和政府は、男性普通選挙の公約を行い、直接税納付者だけに与えられていた選挙権を男性全員に付与、失業者に雇用を与えるため「国立作業場」を建設を開始するなど改革を進めていきました。しかしその一方で、労働者や失業者ばかりに目を向けていたことに対して、資本家や農民から大きな不満が生まれ、しだいに支持基盤を揺るがされていくのです。

 

ルイ・ナポレオンの台頭

そんな中で台頭してきたのはナポレオン1世の末裔であるルイ・ナポレオンで、彼は12月の選挙で大統領に当選しています。しかし彼は民衆から多くの支持を集める一方、政治的な基盤は弱く、軍部や議会には邪魔者扱いされていました。そこで、大統領権限を利用して反ナポレオン派の軍幹部たちを次々と左遷。空席には軍部と繋がりの薄い人間を登用して、内部の支持率を高めていったのです。

 

さらに、議会員や兵士を大統領宮殿へ招いて好印象を与え、中枢をナポレオンの派閥へと変革していきます。そして1851年の12月、ナポレオンがクーデターを起こし武力で議会を解散させ、翌1852年には皇帝ナポレオン3世として即位。第二帝政を創始したのです。

 

第二帝政の崩壊

パリの近代化や万国博覧会をはじめて開催した功績や、資本家、労働者、農民らと協和して支持を得ていたナポレオン3世でしたが、外政における実績はほとんどありません。そこで国民の支持を固めようと対外戦争を繰り返しますが、メキシコ出兵での敗北を機に一気に国民の支持を失ってしまいます。さらに普仏戦争では自ら前線にでた結果、捕虜となり、政権は崩壊してしまうのです。この第二帝政の崩壊を受け、パリ市民が国民防衛政府を発足し、第三共和政へと移行していきました。

 

ナポレオン三世治世下で行なわれた戦争

  • 1853〜56年 クリミア戦争(ロシアの南下阻止)
  • 1856年 アロー戦争
  • 1858〜62年 インドシナ出兵(コーチシナ東部獲得)
  • 1859年 イタリア統一戦争(サヴォイア、ニース獲得)
  • 1861〜67年 メキシコ出兵(敗北し国民の支持を失う)
  • 1870年 普仏戦争(スペイン王位問題でプロイセンと対立。ナポレオン3世は捕虜となり失脚)
 
ページの先頭へ戻る