
1895年、ハバロフスク近くでの東シベリア鉄道の建設工事の様子。シベリア鉄道は財務大臣ウィッテによってロシア工業化政策の要とされた。
産業革命といえばイギリス──これは誰もが認める事実ですが、ではロシアではいつ、どのように産業革命が始まったのでしょうか?広大な農村と専制政治、農奴制が長く続いたロシアにおいて、近代的な工業化が進むには相当な“時差”と“事情”があったんです。このページでは、「いつ始まったのか?」という問いに答えつつ、ロシア特有の背景とその進展の様子を、わかりやすくかみ砕いて解説していきます。
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ロシアにおける産業革命の“本格的なスタート”は、19世紀後半です。では、そのきっかけとは?
アレクサンドル2世が出した農奴解放令(1861年)が、ロシア産業革命の起点とされています。これにより土地に縛られていた農民が都市へ移動できるようになり、労働力として工業都市に集まる土壌が整ったんです。つまり、農奴制の廃止が“近代化への扉”を開いた瞬間だったわけですね。
実際に工業生産が目に見えて増え始めるのは1870年代以降。とくに繊維業・製鉄業・機械工業が都市部で発展していきます。ここでようやく、イギリスに続く“産業革命の波”がロシアにも届いたことになります。
民間主導だった西ヨーロッパと違い、ロシアの産業革命では“政府主導”の性格が極めて強かったのが大きな特徴です。
1890年代にはセルゲイ・ヴィッテが蔵相として登場。彼は外国資本の導入・保護関税の導入・鉄道建設などを徹底し、国家主導の近代化を推進しました。これによりロシアでもドネツ盆地の石炭業やウラル地方の重工業がぐんと伸びていきます。
1891年に着工されたシベリア鉄道は、まさにロシアの産業革命を象徴する国家プロジェクト。西から東まで大陸を貫くこの鉄道によって、資源輸送・人口移動・地域開発が一気に進み、ロシア経済の近代化がぐっと加速します。
工業化が進む一方で、ロシアではそれに伴う“副作用”も目立ちはじめます。
農民たちが都市に流入し、労働者階級(プロレタリアート)が誕生します。しかし彼らの労働環境は劣悪で、低賃金・長時間労働・住環境の悪さが蔓延。やがてこの不満がストライキや反体制運動へとつながっていきます。
産業革命の進展は、知識人層や社会主義者による活動にも火をつけました。結果として1905年革命が起き、さらに1917年のロシア革命へとつながっていくわけです。つまり、ロシアにおける産業革命は、帝政を揺るがすエネルギーも同時に生み出していたのです。
ロシアで産業革命が始まったのは、1860年代の農奴解放がきっかけでした。でもその工業化は、単なる経済成長にとどまらず、やがて社会構造を根本から変え、ロシアという国家の運命まで動かしていったんです。
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