ロベスピエールとは何をした人?〜恐怖政治により革命を敢行〜

 

ロベスピエールの基本情報

 

全名:マクシミリアン・フランソワ・マリー・イジドール・ド・ロベスピエール
誕生:1758年にて
死没:1794年にて
所属:ジャコバン派、山岳派
政策・実績:封建制の全廃、恐怖政治の推進

 

ロベスピエール(1758年 - 1794年)はフランス革命期の政治家で、いわゆる恐怖政治を行ったジャコバン派の指導者として知られています。北フランスのアラス出身。学生時代にルソーの啓蒙思想に心酔し政治思想の基礎が固められました。

 

その後弁護士として名声を得て、全国三部会で第三身分代表になったのをきっかけに政界入り。国民公会において、ジャコバン派の中心としてジロンド派を追放することで独裁権力を確立し、封建制の全廃をはじめとする徹底した改革を推進しました。

 

しかしやがて公安委員会を掌握し、反革命派を次々と処刑する恐怖政治を敷くようになったため、1794年「テルミドールの反動」により失脚、処刑されました。

 

ロベスピエールの恐怖政治

身分差別を始めとする「旧体制(アンシャン・レジーム)の打破」という、それ自体は全く正当な理由で始められたフランス革命ですが、どうしても物騒で「怖い」イメージが付きまとうのはロベスピエールの恐怖政治の為といえるでしょう。

 

1793年、ジロンド派の没落とともに、ロベスピエール率いる山岳派(モンターニュ派)が権力を握ると、公安委員会,革命裁判所を柱とする独裁体制を成立しました。

 

そして反革命勢力を取り締まる反革命容疑者法を利用して、被告の弁護は一切認めず、反革命派、ジロンド派など、あらゆる反対派を次々とギロチンにかけていき、「恐怖による革命」を推し進めたのです。1794年7月テルミドールの反動で崩壊するまでに、犠牲になった者は、獄死した者も含めて4万人以上といわれています。