ペルシア戦争

ペルシア戦争は、紀元前499年から紀元前449年にかけ、ギリシア諸ポリスの連合とペルシア帝国との間で3度に渡って行なわれた戦争です。ペルシア帝国に対して隷属か自立かを分かつ決死の戦いであり、戦後は政治体制の大きな変革が起きるなど、古代ギリシャ史にとって重要な画期となりました。

 

 

戦争の原因

ペルシアは小アジア沿岸のイオニア地方を支配下に置いていましたが、イオニア地方はギリシア本土の対岸にあたり、古来よりギリシア植民市が置かれている地方でもありました。そんな中で前499年、ペルシア支配への不満からギリシア植民市のイオニア人がペルシアへの反乱を起こすのです(イオニアの反乱)。しかしイオニア反乱軍は鎮圧されてしまい、ギリシアはペルシアの脅威が目前に迫る状況に立たされてしまいました。ペルシア皇帝ダレイオス一世も、ギリシア本土征服を本格的に企てるようになるのです。

 

戦争の開始

紀元前492年、ペルシア軍は、イオニア反乱時にアテナイが介入してきたことを口実に、ギリシア心臓部目指して進軍を開始します。当時のギリシア諸ポリスは内乱により仲たがい状態でしたが、アテナイ主導の会議に諸ポリスの代表が集まり、即時紛争の停止が決議、ペルシアに一体となって対抗するギリシア連合が成立したのです。

 

戦争の結果

戦争序盤はペルシア優位の戦況が続きましたが、サラミスの海戦(前480年)、プラタイアイの戦い(前479年)、ミュカレの戦い(前479年)で戦力差をひっくり返すギリシア連合の巧みな戦術を目の前に、ペルシアは戦意を喪失し撤退。前449年カリアスの和約が結ばれたことで戦争は終結しました。

 

ペロポネソス戦争へ

戦後は再度のペルシア来襲に備えてデロス同盟が結成されました。その盟主となったアテナイは同盟の供出金を、自国の国益の為につぎ込み急速な発展を遂げました。当然散財に反発する同盟ポリスが出てくるのですが、アテナイは異論を武力で封殺し帝国主義的政策を推し進めるようになるのです。やがてそんなアテナイに対抗するペロポネソス同盟が結成され、デロス同盟とのペロポネソス戦争へと突入していくことになります。

 

 
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