古代ギリシアの公共広場「アゴラ」の役割とは?

古代ギリシアのアゴラとは

古代ギリシアのアゴラは、市民が集い議論や取引を行う公共広場であった。政治、経済、社交の中心地として機能し、民主主義の実践の場でもあった。市場や神殿、集会所が集まり、多彩な文化活動も展開された。本ページでは、このあたりの歴史的背景とヨーロッパ文化との関連について詳しく掘り下げていく。

古代ギリシアの公共広場「アゴラ」の役割とは?


アゴラとは古代ギリシア社会において、政治・経済・生活の中心をなした広場のことです。古代ギリシアポリス(都市国家)社会に特有にみられる公共施設で、アクロポリス(神事や軍事の中心)の麓、各都市国家の中心街にありました。市民はここで社交を楽しみ、政治哲学・学芸の議論を交わし知見を深め、商取引をし、経済活動を活発化させていたのです。古代ローマの「フォルム」に相当し、アゴラノモイ(agoranomoi)と呼ばれる役人がこの公共施設を管理していました。


「アゴラ」という言葉は、もともと単に「市民の集まるところ」という意味でしたが、やがて集会の開かれる場所の名前としても用いられるようになりました。最も有名なのが、紀元前6世紀後半から整備が始まったアテナイのアゴラで、アクロポリス北西の一角にありました。


アゴラの構成

広場の周囲にはブレウテリオン(評議会所),トロス(当番評議員詰所),メトロオン(公文書館)が作られるなど市民社会の形成において重要な役割を果たしました。また水時計も設置されており、人々はこれで時間を知ることができました。


そしてアゴラ周辺には「ストア」と呼ばれる荘厳な柱廊が立ち並び、人々はここを歩きながら談笑したり、買い物のための店舗を出したりしていました。ストア派の由来でもあり、アテネのアゴラにあった「ストア・ポイキレ」が有名です。