ネロとは何をした人?~政敵やキリスト教徒を虐殺~

ネロとは

ネロは芸術を愛する一方で政敵やキリスト教徒を迫害し、ローマ大火の責任を転嫁した。浪費と残虐行為が民衆の反感を買い反乱で自害に追い込まれたことで知られる。本ページでは、このあたりのバックグラウンドと後世への影響について詳しく掘り下げていく。

ネロとは何をした人?~政敵やキリスト教徒を虐殺~


ネロの基本情報

 

生年:37年
没年:68年
在位:54年 - 68年
出身:アンツィオ
死没地:ローマ
渾名:「暴君ネロ」
功績:貨幣改鋳


ネロ(37年 - 68年)はローマ皇帝で、暴君として知られる人物です。皇帝クラウディウス1世とその妃アグリッピナの養子で、母アグリッピナの策謀により16歳にして即位。治世初期では恩師のセネカや側近のブルスの意見をよく聞き、善政を敷きましたが、しだいにタガを外し始め、気にくわない側近を次々と暗殺、恩師セネカに自殺を強い、母や妻まで手にかけるなど残忍さを隠さなくなりました。そしてローマ大火の罪をキリスト教徒に着せ虐殺したり、芸術に破格の投資をし財政難に陥ると属州からの搾取を増大するなど暴政は苛烈を極めるようになり、各地の反乱を誘発。そして最後には追放され、ローマ近郊で自殺しました。


ネロの母親

皇帝ネロの母親は、小アグリッピナで、本名はユリア・アグリッピナといいます。第三代皇帝カリグラの妹で、カリグラの治世では、カリグラの暗殺を企てたと疑われ、およそ1年流刑に処されていましたが、カリグラ暗殺後に帰還を果たしました。


そして息子ネロを帝位につけることを目的に、新皇帝クラウディウスの皇后となり、島流しにされていたセネカを呼び戻してネロの側近にしています。


アグリッピナはクラウディウス帝の頃から政治には積極的に口を出す人物で、それは息子ネロが帝位についた後も同じでした。しかしこれが、独立心が芽生え、暴君としての性格を露わにしたネロの怒りを買い、実の息子に暗殺される非業の最期を遂げるのです。