サラエボ事件をわかりやすく解説|なぜ第一次世界大戦にまで発展?

第一次世界大戦の火蓋を切ったサラエボ事件。一体何が起きたのか、そしてなぜそれが全面戦争にまで発展したのか。ここでは、その背景と経緯を詳しく説明します。

 

 

 

事件の概要と背景

1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公が訪問中のボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで暗殺されるという出来事、これがサラエボ事件です。この事件は、当時のヨーロッパにおけるナショナリズムの高まりと、大国間の緊張が絡み合い、戦争へと繋がる引き金となりました。

 

暗殺の詳細

犯行は、セルビアのナショナリスト団体「黒手組」のメンバーによって行われました。彼らは、ボスニア・ヘルツェゴビナをオーストリア=ハンガリー帝国から解放し、大セルビアを建設することを目指していました。フランツ・フェルディナント大公が訪問したその日、彼らは大公のパレードに向けて爆弾を投げ、その後、一人のメンバーがピストルで大公とその妻を射殺しました。

 

事件後の展開

この暗殺事件に対するオーストリアの反応は、過激なものでした。彼らは、セルビア政府が事件に関与していると断定し、事実上の宣戦布告とも取れる最後通牒をセルビアに突きつけました。これが受け入れられなかった場合、戦争は避けられないという状況でした。結局、セルビアはオーストリアの要求を全ては受け入れず、これが両国間の戦争へと繋がりました。

 

しかし、当時のヨーロッパは既に連携と対立が入り組んだ「火薬庫」状態で、この局地戦が全面戦争へと発展したのは、各国の相互防衛条約と大国間の利害関係によるものでした。

 

サラエボ事件は、地元のナショナリズムと大国間の緊張関係が絡み合った結果、全面戦争へと発展する引き金となりました。特に、この事件後のオーストリアの反応が、各国の連携と対立関係を一気に表面化させ、最終的には全ヨーロッパを巻き込む大戦へと発展しました。このように、一見小さな火種でも、複雑に絡み合った国際関係の中では大きな波紋を引き起こす可能性があるということを、サラエボ事件は我々に教えてくれます。