ゲルマン民族の大移動というのは4世紀後半から開始された、ローマ帝国領内へのゲルマン民族の大挙、それにともなう社会変動のことです。すでに衰退期に入っていたローマ領内に、ゲルマン人が大挙したことでローマは社会的混乱に陥り、5世紀末には西ローマ帝国が滅亡に追い込まれています。時代が古代から中世に移り変わる、ヨーロッパ史の画期となった非常に重要な出来事といえるでしょう。
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中央アジアのフン族の西進に押されて移住開始する前のゲルマン民族は、ライン川以東・ドナウ川以北のゲルマニアと呼ばれる地域に居住していました。375年に大移動が始まると、ドナウ川を渡ってローマ帝国領内に侵入するようになります。
ゲルマン人の一部はイタリア経由でイベリア半島に渡り西ゴート王国を建国(418年)、一部はイタリアに定着し東ゴート王国を建国(497年)しました。
ローマ帝国は5世紀になり、ゲルマン民族の侵入による社会的混乱を受けイギリスの支配を放棄。大陸ヨーロッパからゲルマン一派のアングロサクソン人がイギリスに渡り、先住のケルト人を駆逐し、新たな支配者となりました。このアングロサクソン人は現在のイングランド人の祖先でもあります。
ゲルマン一派のフランク人は、ライン川東岸から現在のフランスにあたるガリアに移住し、フランク王国を建国。同国は他の短命に終わったゲルマン諸王国と違い、着実に勢力の基盤を固め、西ヨーロッパにおける文化の担い手となっていきます。
ゲルマン民族の移動は、ドナウ川以北・ライン川以東の地域から始まりました。この地域はゲルマニアと呼ばれ、古くからゲルマン人が居住していました。フン族の圧力により、多くの部族がこの地域を離れ、南下または西進してローマ領内に侵入しました。これにより、ゲルマン民族の影響がヨーロッパ全域に広がりました。
ゲルマン民族の移動は東ヨーロッパにも及びました。ヴァンダル族やランゴバルド族などは、東ヨーロッパから西ヨーロッパにかけて移動し、ローマ帝国の領土に影響を与えました。彼らの移動は、東ローマ帝国の防衛にも影響を与え、後のビザンチン帝国の形成にも関与しました。
ゲルマン民族の一部は南ヨーロッパに移動し、イタリア半島やイベリア半島に定着しました。特にヴァンダル族は北アフリカにまで進出し、カルタゴに新たな王国を建国しました。これにより、地中海地域全体にゲルマン民族の影響が及びました。
狭義の大移動といえば上記の通りとなりますが、実はゲルマン民族の緩慢な移動自体は紀元前1000年頃から始まっていました。
ゲルマン人はもともと北欧のスカンディナビア半島に居住する民族で、ゆっくりと移動と定住を繰り返しながらライン川以東・ドナウ川以北に至ったという経緯があるのです。
前1世紀頃からローマ領内への侵入をしばしば試みていましたが、当時はローマ全盛の時代だったので単純に武力で撃退されていました。
ゲルマン民族の大移動は、ヨーロッパの地理的、文化的構造を大きく変えるきっかけとなりました。この大移動により、ローマ帝国は崩壊し、中世ヨーロッパの基盤が形成されました。多様な部族が新たな土地に定着し、新しい文化と政治体制を築き上げたことで、ヨーロッパの歴史は大きく変わりました。ゲルマン民族の大移動は、単なる民族の移動にとどまらず、ヨーロッパ全体の歴史と文化に深い影響を与えたのです。
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