ハプスブルク家

ハプスブルク家は、中世末から近世にかけて繁栄した神聖ローマ帝国およびオーストリア帝国の王家です。最盛期にはハンガリー王位・ボヘミア王位・スペイン王位をも兼任し、「ハプスブルク帝国」と称される広大な領土を築き上げ、ヨーロッパ世界で威信と権勢を振るいました。

 

 

ハプスブルク帝国の成立

ハプスブルク家は10世紀半ば、スイスのバーゼルに近いアルプス地方に発祥し、大空位時代の混乱を経て、1273年にルドルフ1世がハプスブルク家初の神聖ローマ皇帝となりました。

 

その後一時神聖ローマ皇帝位から遠のいていましたが、1438年オーストリア公アルブレヒト5世が皇帝として返り咲き、以後神聖ローマ 皇帝位は代々ハプスブルク家が世襲・独占していくことになります。

 

15世紀末(大航海時代の開始時期)以降、マクシミリアン1世の頃から大西洋航路開拓で得た海外領土に、結婚政策で得た領土も加わり、ネーデルラント,ハンガリー,ボヘミア,シチリア,サルデーニャにまで勢力を広げる「ハプスブルク帝国」を形成。一族の本格的な繁栄が始まります。

 

ハプスブルク帝国の分裂

カルル5世の退位後、スペイン・ネーデルラントの領土は息子フェリペ2世に、オーストリア・神聖ローマ帝国の領土は弟フェルディナント1世に相続され、これ以降ハプスブルク家は神聖ローマ皇帝家とスペイン王家の2家に分裂しました。

 

スペイン王家

スペイン王家はフェリペ2世の治世で、全盛期に達するも、属領ネーデルラントの反抗や、フランス、イギリスの台頭で徐々に衰退。無敵艦隊の敗北などイギリスとの争いに屈したのち、1700年には断絶に追い込まれ、ヨーロッパ中を巻き込むスペイン継承戦争の誘因となりました。(その結果の1713年のユトレヒト条約によりスペイン王位はブルボン家に移行)

 

神聖ローマ皇帝家

神聖ローマ皇帝家の方も、宗教改革にともなう内乱、三十年戦争、オーストリア継承戦争などを経て衰退していきました。そして対仏大同盟戦争の最中フランス皇帝ナポレオン1世により神聖ローマ皇帝位を廃位され、1804年神聖ローマ帝国の滅亡を許してしまいます。

 

その後はオーストリア皇帝として(1867年以降ははオーストリア=ハンガリー皇帝として)としての地位に甘んじていたものの、ヨーロッパではまだ強い影響力を振るっていました。

 

ハプスブルク帝国の終焉

オーストリア皇帝メッテルニヒの治世(1821年〜1848年)で、ハプスブルク家は一時ヨーロッパの覇権を取り戻しましたが、総力戦となった第1次世界大戦で敗れたことでオーストリア=ハンガリーは解体。同時にオーストリアは帝政を廃し共和政に移行したため、王朝としてのハプスブルク家の歴史はここに幕を閉じました。

 

 
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